小学校の【運動会】の応援を掛け持ちできる【しあわせ】
スポーツの秋、今日は三鷹市内の多くの小学校の運動会が開催されました。
朝方まで小雨が降っていたので、開催が懸念されましたが、7時を過ぎると青空が広がり夏日になるとの気温上昇の予報です。
今日、私はまずは同居している2人の孫が通学している鷹南学園三鷹市立東台小学校の【第52回大運動会】に出向き、前校長の小林先生と前市長の私が並んで住民協議会会長、ケアネットしんなか代表はじめ地域の皆様と一緒に開会式に臨みました。
上の孫は5年生で、金管バンドの大太鼓を担当してファンファーレの演奏に加わるとともに、白組応援団の一員として大きな旗振りを担当しています。
そこで、私は言わば【応援団の応援団】の1人として駆けつけたのです。
1年生の元気な【はじめのことば】、体育委員会委員による【一致団結して、鷹のように羽ばたこう】というスローガンの発表、選手宣誓など無事に開会式が行われたのを見届けて、私は三鷹市の南東部にある東台小学校から、市内の北部にある三鷹中央学園三鷹市立第三小学校に向かいました。
というのは、三鷹駅前に住んでいる孫が今年この小学校に入学して初めての運動会を迎えているのですが、幸いにも、校長から前市長である私宛に来賓として招待状をいただいたので、光栄に思い訪問しました。
この小学校では、学年別に時間を区切ってプログラムを編成していて、幸いにも東台小学校の開会式を見てから向かっても1年生のプログラムには余裕をもって間に合いました。
そして、1年生として初めて取り組んだ徒競走とダンス演技を応援することができました。
この日は、夏日になるとの予報があり、急激に気温が上がってきていたのですが、観覧席は校庭の南側にある校舎の日陰で、テントがなくてもゆっくりとこどもたちの徒競走や演技を観覧し、応援することができました。
そこで、第三小学校の建替え工事に取組んだ時のことが頭に蘇りました。
校舎の耐震度に課題があることがわかり、建替えを決断した私は、建替えの際の仮校舎の用地を懸命に探しました。
当時、同じく耐震度に課題があり先んじて建替えを進めていた東台小学校の場合は、幸いにも近隣の農家のご厚意で、農地を仮校舎用地に貸していただき、こどもたちの提案の太陽光発電装置を設置した校舎を建設途中であったからです。
そこで、懸命に仮校舎用地を探しましたが、結果として三鷹駅前には最適な用地は見つからなかったのです。熟慮して、校庭の北側の旧校舎を使用しつつ、南側に新校舎を建てるという判断に至り、児童、保護者、教員や地域の皆様の御理解をいただいて、冬の校庭への日射を最大限にするように設計をし、太陽光を発電を生かす校舎の建替えを行うことにしたのです。
第三小学校で、孫を含む元気に走り演技する1年生、2年生、3年生のこどもたちの元気な姿を応援した後、また、東台小学校に戻りました。
そして、3年生の孫の演技種目にギリギリ間に合いました。
そして、6年生の【やりぬけ限界、輝け青春】という演技種目を鑑賞しました。
【ソーラン節】が主でしたが、1年生から5年生までの演技種目のエッセンスも踊り、6年間を振り返る演技に、感動が胸にこみ上げてきました。
2年生からのコロナ禍を経験した6年生の万感の演技に圧倒されました。
走者も応援も頂点となる「中学年リレー」「高学年リレー」の結果、白組の勝利となり、閉会式を迎えました・
大木校長は「練習の時には本番のように、本番の時には練習の時のように、と言ってきましたが、今日の皆さんの本番は練習以上の素晴らしいものでした」とこどもたちの努力を讃えました。
私は市長在任中、市立小中学校の入学式・卒業式は各学校と教育委員会にお委ねして、出席は遠慮し、お祝いのメッセージを送らせていただいてきましたが、運動会には、可能な限り訪問して激励してきました。
当時は、春にはほとんどの中学校の運動会・体育大会が同日に開催される傾向がありました。
そして、秋にはほとんどの小学校の運動会も開催日が同日でしたので、ある年には同日に10校を超える小学校の運動会がありました。
その時には、秘書さん及び公用車の運転士さんと訪問する順番をよく相談して、当時は午後も開催していましたので、朝から午後2時過ぎまでにかけて、すべての小学校の運動会を訪問したことがあります。
また、校長のご配慮で、ほとんどの小学校では児童の皆さん、保護者の皆さんに短いお祝いの言葉を述べさせていただきました。
市長当時の私にとって、小学校の運動会を【掛け持ちできる幸せ】は、こどもたちの元気な心と体による表現力と人間力に出会う好機でした。
そして今日は、孫たちが市内の複数の小学校に通っていることから、小学校の運動会を【掛け持ちできる幸せ】を改めて噛みしめることができました。
絵本の読み聞かせのボランティアをさせていただいているので、「こんにちは!清原さん!」と声をかけてくれるこだもたちもいて、嬉しい限りです。
加えて、私の孫たちが通う東台小学校及び第三小学校が、いずれも私が市長の任期中に耐震度を高めるために校舎を建替えた小学校であったことは、まさに奇しきご縁と思います。
コロナ禍を経て、運動会の運営については学年交代制が定着し、午前のみの開催が一般的となり、全学年の種目を全学年の保護者が応援できるカタチではなくなっています。
そうした変化はあっても、こどもたちのチカラが与える保護者だけではない地域の皆様へ与える【生きるチカラ】の祭典としての【運動会・体育祭】の持つ魅力や影響力は、とても大きいものだと思います。