三鷹市の前教育委員の畑谷さんを慰労し、改めて市長の教育に関する責任と教育委員会との連携の意義を確認しました
- 2024/11/02
- 日記・コラム, 三鷹市
- 教育委員, 総合教育会議, 地方教育行政の組織及び運営に関する法律
私が副代表を務めている【地域ケアネット新川・中原(ケアネットしんなか)】の代表の畑谷貴美子さんは、三鷹市教育委員を2期8年おつとめになり、先ごろ退任されました。
畑谷さんに教育委員に就任するようにお願いしたのは、三鷹市長に在任していた私です。
教育委員の就任については、市長が議会に提案して、議会の選任同意を得ることが必要です。
私は市長在任中は、すべての教育委員候補の適任者を自らが探すとともに、当該の方には、職務と責務の内容と共に、議会の選任同意をいただく必要のあることを説明してご了解をいただいていきました。
三鷹市長在任中の2016年の夏、私は畑谷さんとお目にかかり、教育委員の就任をお願いしました。
それは、畑谷さんがお子さんの学校の保護者としてPTA活動等に参加されていたご経験、私が市長に就任とほぼ同時に、三鷹市の新川・中原住民協議会での環境部等の活動を踏まえつつ会長に就任され、長きにわたりコミュニティ活動に参画されていたご経験、三鷹市で2番目に創設された市民と市の協働の地域福祉の取組みである【地域ケアネット新川・中原(ケアネットしんなか)】の代表として創造的な活動をされてこられたご経験、さらには【コミュニティ・スクールを基盤とした小中一貫教育】の1つであり、三鷹市の7つの中学校区で順次開設されてきた学園の内の最後の学園となった三鷹市立第五中学校、同中原小学校、同東台小学校で構成される「鷹南学園」の初代コミュニティ・スクール委員会(学校運営協議会)の会長に選任され、ご活躍いただいてきたことなどから、ぜひとも保護者・地域住民としての視点で教育改革を進めていただきたいとの思いから、依頼をしたのです。
私が依頼に伺った時、突然の想定外の依頼であったために、畑谷さんは相当当惑されていました。
けれども、熟慮の上、快諾してくださいました。
さて、私が市長在任中の2015年4月から「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が改正され、第1条の4に【総合教育会議】に関する条文が付加されました。
その内容は、「地方公共団体の長は、大綱の策定に関する協議及び次に掲げる事項についての協議並びにこれらに関する次項各号に掲げる構成員の事務の調整を行うため、総合教育会議を設けるものとする。」から始まります。
そして、その事務とは下記の2つです。
①教育を行うための諸条件の整備その他の地域の実情に応じた教育、学術及び文化の振興を図るため重点的に講ずべき施策
②児童、生徒等の生命又は身体に現に被害が生じ、又はまさに被害が生ずるおそれがあると見込まれる場合等の緊急の場合に講ずべき措置
構成員は、地方公共団体の長と教育委員会とされ、総合教育会議は地方公共団体の長が招集するとされています。
もちろん、教育委員会はその権限に属する事務に関して協議する必要があると思料するときは、地方公共団体の長に対し、協議すべき具体的事項を示して、総合教育会議の招集を求めることができるともされています。
そこで、教育に関する市長の責任はさらに重くなりましたが、教育委員会との公開された会議での情報共有、意見交換、審議が行えることとなりました。
私は大学教員として教育に携わった経験があるとともに、専門分野に教育社会学、社会教育学、生涯教育学、視聴覚教育学を置き、それぞれの学会にも属していました。
だからこそ【コミュニティ・スクールを基盤とした小中一貫教育】を教育委員会と連携して創始しようと決意できたと思っています。
当時、私は教育長との対話により議題を精査し、会議の議長を務めていましたが、畑谷さんとはこの総合教育会議を通して、他の委員とご一緒に大いに意見交換を行いました。
このように市長の教育に果たす責任が法律に規定されているにもかかわらず、「教育のことは教育長に任せていますから」と言って、総合教育会議の議長も教育長に任せ、教育委員会に遠慮して議論を深めない首長がまだいるという事例を聴くと残念でなりません。
学校教育でも、社会教育・生涯学習、スポーツ・文化の分野でも、首長と教育委員会の堅固な連携こそ不可欠と考えます。
さて、私は市長退任直後から、畑谷さんが代表をされている【地域ケアネット新川・中原(ケアネットしんなか)】の活動にボランティアとして参加させていただき、昨年からは副代表に選出されて、畑谷さんを中心とした市民や幅広い関係団体の連携による地域福祉活動を進めています。
10月のある日、畑谷さんが2期8年の任期を終えて退任されたことを、ケアネット繋がりで、副代表の大戸さん、小田切さんと私とで慰労しました。
畑谷さんからは、「清原さんは忘れているかもしれないけれど、自宅を訪ねて、教育委員の依頼をされた日、玄関を入るなり『畑谷さん、これからお願いすることがあるのだけれど、絶対に断らないでね』と言ったのを覚えていますか? もちろん、だから断らなかったわけではないけれど、教育委員の責務は本当に重かったので、今は、正直、ほっとしています」とのことでした。
後半の任期は、私が市長を退任していた後のコロナ禍でもあり、本当にご苦労をおかけしたと思います。
畑谷さんのご労苦に心から感謝し、今後の、ケアネットを中心とした益々のご活躍をお願いします。