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法政大学主催【法政大学元総長清成忠男先生お別れの会】に参列しました

法政大学主催【法政大学元総長清成忠男先生お別れの会】に参列しました

法政大学のホームページで、法政大学主催【法政大学元総長清成忠男先生お別れの会】が12月5日、法政大学外濠校舎6階の【薩埵ホール】で実施されることを知り、出席しました。

清成先生には、2005年5月から2017年5月までの12年間【NPO法人三鷹ネットワーク大学推進機構】の理事長をおつとめいただきました。
「清成先生をお別れの会」の受付で、大学事務局の方が、私が【前三鷹市長】であることに気付かれて、ご遺族の控室にご案内してくださいました。
開会時間より早めに伺いましたので、幸い娘さんとお目にかかり、お話をすることができました。
清成先生は、晩年を、三鷹市内でお住まいになられました。
娘さんは、「父が、三鷹市内に住みたいと、市役所の内田治さんにご相談をして、高齢でも快適に過ごせる場所を提案していただいたことがきっかけです。父はとても住みごごちがよいと喜んでいました」と言ってくださいました。
内田さんは、三鷹ネットワーク大学創設時に、事務局にいた三鷹市職員で、私が4期目の市長の際に副市長をつとめてくれました。法政大学出身でもあるので、ご遺族にこのように言っていただいて感激だと思います。

私は、「先生が逝かれて、とてもお寂しいですね。ただ、私の場合はいつもそばに亡き父がいるような気がしています」と申しますと、「はい、私もそのような感じがしています。父は91歳で亡くなったので、私は天寿を全うしたと受け止めています」と、おっしゃいました。
私は、そのお言葉を聴いて、三鷹市内で晩年を穏やかに過ごしていただいて、本当によかったと、ほっとしました。

ここで、清成先生と三鷹ネットワーク大学とのご縁について少し紹介します。
2003年4月30日、清成先生ともご縁をいただきながら大学教員の経験を重ねた後、三鷹市長に就任した私は、法政大学総長をされていた清成先生に、次のように相談しました。
「三鷹市ゆかりの大学のネットワークをつくることによって、市民の生涯学習の学びの機会の充実をはかり、地域課題の解決に各大学の教職員・学生に参画していただくとともに、大学の教育・研究・地域貢献の諸活動に、市民・市役所や市内の企業・関係団体が協働することのの深化を図りたいと思います。そのために、たとえば【三鷹ネットワーク大学・大学院構想】を考えたいと思います」とお話をしたのです。
清成先生は、すでに三鷹市と地域の諸課題の解決に向けた調査研究をされたご経験があることから、「三鷹市のような1つの都市自治体が、大学コンソーシアムの新しいカタチを創ることには大きな意義がある」と共感してくださり、ご多用にも関わらず、検討委員会の委員長をお引き受けくださいまいました。
そして、2004年4月に、検討委員会より、三鷹市に対して「ネットワーク大学」設置に向けた提言書が提出され、6月に三鷹ネットワーク大学(仮称)開設協議会(会長:清成忠男法政大学総長=当時)を設置し、2005年3月に、第3回開設協議会で法政大学を含む14の教育・研究機関と三鷹市が基本協定を締結したのです。
さらに、5月に、特定非営利活動法人(NPO法人)「三鷹ネットワーク大学推進機構」(理事長:清成忠男法政大学総長=当時)の認証を東京都へ申請し、8月には、東京都よりNPO法人認証書を交付されました。

2019年(令和元年)5月24日、清成忠男先生監修・市川一宏先生(ルーテル学院大学・学長)編集代表による『人生100年時代の地域ケアシステム~三鷹市の地域ケア実践の検証を通して~』が、NPO法人三鷹ネットワーク大学推進機構(以下ネット大)の初めての出版物として刊行されました。
これは、ネット大の初代理事長でいらした清成先生が、2015年10月に創立10周年を迎えた記念事業として「三鷹の地域力の創生~2025年問題をにらんで~」をテーマとする「チャレンジ提案会」を開催したことを契機に、その内容を出版したいと構想されたことに始まります。
清成先生は出版社とも交渉されましたが、その途中で、ネット大の出版事業の第一弾にしようと決意され、出版に係る費用を寄付されたのです。

このネットワーク大学の取組みだけでなく、私は市長就任前の大学教員当時に、清成先生とご一緒に、長崎県対馬で開催のフォーラムや、韓国釜山大学で開催のフォーラムなどをはじめとして、たびたびお声がけいただき、国内外の多くの地域活性化に関わる機会をご一緒させていただいた経験があります。
また、①新設大学、②学部の新設、③学部と大学院の新設などを行った3つの私学で教員をつとめた私にとって、大学設置審議会委員や大学基準協会会長を歴任されてこられた清成先生の存在は、大学の教育・経営の【質】を重視して日本の高等教育をけん引される大きな存在でした。
そして、総長在任中に、武蔵野市にあった男子校の法政大学第一中学・高等学校を、三鷹市牟礼の東京女子大学跡地に移し、男女共学の法政大学中学校・高等学校とされたご縁もあります。

こうしたご縁をいただいてきたことから、この度のご逝去は大きな喪失感と残念な気持ちでいっぱいですが、お別れの会で、心の区切りをつけなければいけないとも気付きました。
この日、天皇陛下にお心を向けていただき、多くのゆかりの方々が出席された「お別れの会」を開いていただいた、法政大学総長の広瀬克哉先生、実行委員長の法政大学常務理事の佐野哲先生はじめ、関係者の皆様に心から感謝し、清成先生が天国で、これからも私たちを見守り、励ましてくださることを確信して、会場を後にしました。

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