三鷹市長在任中に活躍していただき定年を迎えた職員への感謝と祝福
3月31日、令和6(2024)年度の最後の日を迎えました。
全国の自治体や企業等では、定年退職者が退職の日を迎えています。
私は大学研究者として、2つの大学をそれぞれの3月末で退職し、次の大学に移った経験があります。
大学教員としての経験、三鷹市長としての経験、国の総務省行政評価局アドバイザーやこども家庭庁参与としての経験からも、3月31日の年度末の日は、何とも言えない感慨と緊張がある日です。
三鷹市長として4期16年間、無事に自治体経営の責任を、【民学産公官の協働】を中核に遂行することがきましたのは、市民の皆様、市議会の皆様、国や他の自治体、関係機関の皆様のおかげ様です。
加えて、市政の目標を共有して、公務の仕事に邁進してくれた職員の皆様のご活躍のおかげ様です。
在任中は、退職の辞令交付や永年勤続表彰を行い、退職者全員に感謝を告げる日でありました。
そこで、市長退任後も、3月31日を前に、定年退職する職員を代表して、部課長の皆様を訪問して来ました。
今年も、3月下旬に各職場を訪ねました。
最初に訪ねたのは、JR三鷹駅前市政窓口です。
ここでは、私の任期の最後の4年弱の間副市長をつとめてくれた内田さんが、市役所での経験を活かして市民の皆様のために働いてくれていました。
駅前の玉川上水沿いに咲き始めた桜が、彼の退職を祝福しています。
その後、駅前保育園、三鷹市市民協働センター事務局に定年退職の職員を訪ねましたが、あらかじめアポイントメントをとって訪問していたわけではないので、あいにく引継ぎなどで不在でしたので、感謝の伝言を伝えました。
その後市役所に出向き、定年退職する都市整備部の部長と、調整担当部長として部長を支えてきて4月から部長になる職員を訪問しました。
退職する部長は「私は、清原市長のもとで、係長職、課長職、部長職と長い間働かせていただき、多くのことをご指導いただきました。なんとか、無事に卒業できますこと、大変感謝しております。」と話してくれました。
後任の部長も「自分も清原市長のもとで、係長職、課長職、部長職と働いてきて、愈々【調整担当】がとれる部長になるので、緊張しています」と語ります。
退職する部長は「いや、調整担当が取れた部長になっても、引き続き、調整は極めて重要ですよ」と語り、後任部長は「それなら今までの経験が生かせますね」と笑顔です。
いずれの部長も、技術専門職であり、私が在任中に直面した幾多の都市整備の課題を、一つひとつ一緒に乗り越えてきた仲間です。
この2人のバトンタッチの場面に出会えてうれしく思いました。
私の退任後にできた都市再生部に出向くと、退職する部長と、4月から創設される防災安全部の部長に異動し昇格する現在の調整担当部長に出会いました。
加えて、退職して、4月から私の地元の新川中原コミュニティセンターの事務局長に就任する職員にも会いました。
それぞれが、1つの節目を迎えていますが、全員が極めて前向きで、頼もしいです。
三鷹中央防災公園・元気創造プラザに出向き、2階の子ども政策部子ども家庭課の包括支援担当課長を訪ねました。子ども政策部を創設してこども政策を取組む私を支えてくれた心強い専門家の1人です。
その後、5階の危機管理担当部長を訪問しました。
彼には、主として保健政策を進めてきてもらいましたが、私が退任後は危機管理担当として防災課と安全安心課をまとめてきてくれました。
4月以降は防災安全部が新設されるということで、新たな体制になる礎をつくってきてくれた彼に、心をこめて感謝しました。
3月31日は、年度末で、1つの区切りの日ですが、同時に、4月1日の新年度開始に向けて、1つの集約と未来への展望の時間が凝縮された1日であるような気がします。
【組織は人】といわれることがあります。
人を生かすのは組織であり、組織を生かすのは人です。
反対に、人を生かさない組織ではもったいないですし、組織を生かさない人の存在ももったいないです。
3月31日に節目を迎えられた皆様に、幸あれとお祈り致します。


