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国立天文台第三代台長の海部宣男先生との想い出

国立天文台第三代台長の海部宣男先生との想い出

三鷹市大沢に所在する自然科学研究機構大学共同利用機関国立天文台(以下「国立天文台」)の第三代台長を務められた海部宣男(かいふ のりお)先生は、2019年4月13日にご病気でご逝去されました。
ご葬儀はご遺族様ご親族様で営まれたとのことです。

そして、去る9月16日(月)の夕刻、国立天文台主催で「海部宣男先生を送る会」が挙行されました。
私は、ありがたいことに、海部先生と私よりご縁の深い多くの方々がご臨席されている送る会で、国立天文台の地元である三鷹市の前市長であり、海部先生が台長当時の市長であるということで、「お別れの言葉」を申し上げる機会をいただきました。
送る会を主催された常田佐久台長をはじめ国立天文台の皆様のご高配に心から感謝申し上げます。

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海部先生へのお別れの言葉を述べる

海部先生のご業績

1943年9月21日にお生まれの海部先生は、東京大学で学ばれ、電波天文学、赤外線天文学を専攻され、特に星間物質・星と惑星の形成に関する研究を推進されました。
大学院生当時から宇宙電波グループに参加され、日本初の先端大型望遠鏡である長野県野辺山の口径45m大型電波望遠鏡の設計から建設まで、中心的な役割を果たされました。

私は、1983年に野辺山を訪問し、大型電波望遠鏡の大きさに圧倒されたことを覚えています。 

海部先生は、特に波長が最も短い電波であるミリ波による観測の重要性に着目され、分子科学の研究者と協力して多くの新分子を宇宙で発見するなど、新しい分野である「ミリ波」の観測・研究を進められました。
このミリ波天文学の開拓の業績により、1987年に森本雅樹先生とともに仁科記念賞を受賞されました。
また、1998年には星間物質の研究により日本学士院賞を受賞されています。

1991年には、建設を開始するすばる望遠鏡プロジェクトのために、野辺山宇宙電波観測所から三鷹市の国立天文台本部に移られ、1994年からすばるプロジェクト推進部主幹、また1997年からは初代ハワイ観測所長として日本で初めての海外観測所を立ち上げ、またマウナ・ケア山頂でのすばる望遠鏡の設置を完成に導かれました。

海部先生との出逢い、そして、3つのエピソード

私が海部宣男先生と初めてお目にかかりましたのは、私が三鷹市長に就任した直後の2003年5月に、当時の台長でいらした海部先生を市長就任挨拶のために訪問した時でした。
海部先生は、1988年に就任された初代台長の古在由秀先生、1994年に就任された第二代台長の小平桂一先生に続いて、2000年にハワイでのすばる望遠鏡の建設を終えて帰国され、国立天文台長の第三代台長に就任され、3年目を迎えていらっしゃいました。

その後、海部先生とは多くのご縁をいただきましたが、その中から、3つのエピソードをお話しさせていただきます。

三鷹ネットワーク大学の創設と天文学の普及

私は市長に就任する前は大学教員でしたので、三鷹市にとって国際的な天文学の発展に貢献している国立天文台があることの意義は極めて重要であると認識していました。
実は、国立天文台と同じ大沢にあるルーテル学院大学で教員をしていた際には、教養課程の教科に天文学を設置しており、ご担当の非常勤講師の方がご退任される際に、後任の講師を国立天文台所属の研究者にお願いした経過もありました。

そこで、初めてお目にかかった際に、『それまで国立天文台と三鷹市教育委員会との連携は小中学校での教育でご協力をいただくなど多少なりともあったようですが、今後は、ぜひともさらなる連携強化をお願いしたい』と申し出ました。
すると、海部先生は、ご自身が台長に就任された年である2000年7月20日から三鷹キャンパスの常時公開を開始しており、2002年には第一赤道儀室、大赤道儀室が国の有形文化財に登録されていたこともあり、『三鷹キャンパスを、たとえば天文学を含む【自然科学公園】というような形で外部に開き、発展させていきたい』との構想を話してくださいました。

そこで私は、『実は一期目の市長の公約に【三鷹ネットワーク大学・大学院構想】があり、ぜひとも、市内の国立天文台、杏林大学、国際基督教大学、ルーテル学院大学をはじめ市外の大学とも連携して実現したい』とご協力をお願いしました。
海部先生は、『それはいい話であり、国立天文台と東京大学以外の他の大学との連携は重要であり、協力したい』とおっしゃってくださいました。

その年の9月から検討会の委員になっていただき、ご多用中にも関わらず会議にご出席いただいて、三鷹市のような小規模自治体では取り組みの前例がほとんどない、いわゆる【地域型の大学コンソーシアム】の検討に参画してくださいました。
そして、2005年10月に活動を開始したのが【三鷹ネットワーク大学(以下ネット大)】であり、海部先生をはじめ歴代台長にはこの大学を運営する「NPO法人三鷹ネットワーク大学推進機構」の理事を務めていただいています。

ネット大は、「民(市民)」「学(大学研究機関)」「産(産業界)」「公(市役所等の公共機関)」「官(国の機関)」がつながり、それぞれが持つ知的資源を最大限に活かして協働し、三鷹市から全国に向けて、そして、未来に向けて、地域課題の解決を含む「まちづくりの新しい扉」を開く「大学研究機関との協働の新しいカタチ」を示してきました。

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三鷹ネットワーク大学のあるビルの外観

ネット大は開設以来、会員である大学研究機関と協働して、多様で多彩な講座を開講するとともに、三鷹まちづくり総合研究所での調査研究活動、国や都の公募事業、事業者や研究機関と連携した実証実験など、さまざまな研究開発事業に取り組んでいます。
国立天文台との協働の事例としては、創設当時の台長の海部先生と当時の国立天文台天文情報公開センター広報普及室長の渡部潤一先生(現在国立天文台副台長)及び縣秀彦先生のご提案によって、ネット大創設の年の11月からスタートした「アストロノミー・パブ」があります。
これは、国立天文台の教員がホストとなり、天文学や宇宙に関するテーマを設定し講師を依頼し、受講者というより参加者を募って開かれる「科学カフェ」の天文学バージョンとも言える科学学習の機会であり、毎月原則第三土曜日夜に開催されています。

ホストとゲストによる「トークタイム」が1時間、その後は講師や参加者同士と自由に対話を楽しむ立食形式の「パブタイム」です。
参加者が講師に疑問や意見を話し、参加者同士が楽しく語り合う機会が実現しています。

私も、三鷹市長在職時に、何度かゲストスピーカーとして参加した経験があります。
参加者は多世代で、天文学の市民への広がりを感じてきました。
2014年11月には100回を迎え、それから5年を経て約150回もの回数を重ねています。

また、ネット大では2007年7月から「星のソムリエ(星空案内人)」の養成講座が開始されており、2019年度は第11期が現在公募されています。
「星空案内のための天文講座」は、宇宙について学ぶだけではなく、学んだ知識を他の人に語れるようになるための連続講座です。

「星空案内人(星のソムリエ)」は、山形大学に併設された「やまがた天文台」を中心に活動するNPO法人小さな天文学者の会でスタートした取り組みで、出席やペーパーテスト合格などで所定の要件を満たすと「星空準案内人」の資格が認定されるしくみになっています。
<注>「星のソムリエ」「星空案内人」「星空準案内人」は山形大学の登録商標です。

その後、三鷹市と国立天文台が協働して、2007年から2011年まで「文部科学省科学技術振興調整費<地域再生人材創出拠点形成>」による「科学プロデューサー養成コース」も実施されました。

こうした経過を経て、2015年9月、JR三鷹駅前中央通りには、国立天文台・三鷹市・ネット大・株式会社まちづくり三鷹と、多くの関係団体との協働による「天文科学情報スペース」が開設されました。
ここでは、国立天文台の駅前サテライト機能を果たすような展示と情報提供が展開されています。

こうした「天文台のあるまち三鷹」における協働による天文学の普及の端緒は、まさに海部先生の台長時代にあるように思います。

世界天文年の実行委員長としてのご活躍と「国立天文台のあるまち三鷹」の深化

海部先生が国立天文台長をおつとめでいらした2001年4月5・6日、国立天文台、欧州南天天文台、全米科学財団の3機関において、ALMA計画が合意されました。
そして、2004年4月1日に、国立天文台は「大学共同利用機関法人自然科学研究機構」として新たに発足されました。

私は天文学の門外漢ではありますが、国立天文台が大学共同利用機関となったことは、学術の分野でも教育の分野でも、外に開かれた機関として明確に位置づけられたということであり、学問の発展のためにも、天文学の普及のためにも、本当に良いことだと感じています。

そして海部先生は、2006年に国立天文台長を退任されたあと放送大学教授に就任されました。
それに先立って、2005年には日本学術会議会員に推薦され、第三部(理学・工学)部長として、2011年までの6年間、天文学にとどまらず日本の学術全般のマスタープランの作成にもご活躍されたとのことです。

また、2009年は「世界天文年」であり、海部先生は国際委員会の委員をつとめられるとともに、研究・教育・普及など日本全国の幅広いメンバーによる「世界天文年2009日本委員会」の委員長を務められました。

なぜ、2009年が「世界天文年」とされたかというと、「天文学の父」と称されるイタリアの科学者ガリレオ・ガリレイが初めて望遠鏡を夜空に向け、宇宙への扉を開いた1609年から、400年の節目の年であることから、国際連合、ユネスコ、国際天文学連合が2009年を「世界天文年(International Year of Astronomy:略称 IYA)」と定めたとのことです。
世界天文年の目的とは、世界中の人々が夜空を見上げ、宇宙の中の地球や人間の存在に思いを馳せ、自分なりの発見をしてもらうことであり、参加国数は約150の国と地域でした。

そこで、2009年より毎年恒例の国立天文台「三鷹地区特別公開」は、「三鷹・星と宇宙の日」という名称に変わりました。
そして、2009年世界天文年を契機に、国立天文台と三鷹市は「東京国際科学フェスティバル」「三鷹の森科学文化祭」を共催しています。

その一環として、国立天文台や星のソムリエの皆様のご提案があって、「みたか太陽系ウォーク」という、JR三鷹駅を太陽に位置付けて、三鷹市内を13億分の1の太陽系と見立て、参加者が市内を歩き、水星、金星、火星などの位置にある事業所や公共施設でスタンプを押しながら、宇宙を実感するスタンプラリーが誕生しています。

みたか太陽系ウォークでは、スタンプを置く協力事業所が年々増えるとともに、スタンプを押す参加者も年々増加して、市内に科学文化による活気をもたらしています。

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みたか太陽系ウォークスタンプラリー

2019年も9月20日から第11回みたか太陽系ウォークがスタートしました。
スタートして初めての週末となる土曜日の21日には、多数の親子連れや子ども達がスタンプを押しています。
特に、太陽のスタンプを押す三鷹駅コンコースのスタンプ台には行列ができていました。

この日、私は三鷹ネットワーク大学で開催された「太陽系ウォーク・キックオフイベント特別講演」に参加しました。
講師は、当初からこのスタンプラリーの企画をネット大と進め、現在は実行委員長の国立天文台准教授の縣秀彦さんで、テーマは「太陽系と小惑星をめぐる旅アラカルト」でした。

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講演をする縣先生

講演では、縣さんが現在世界天文学連合の天文学普及のお仕事をしていることから、『太陽系ウォークは現時点で、世界の中で最も地域に根付き多数の市民が参加する継続的な天文学普及の取り組みである』と話されました。
そして、今年のスタンプラリーでは「小惑星」に注目するということ、特に小惑星リュウグウに接地して表面サンプルの採取に成功した小惑星探査機のはやぶさ2のお話もされました。
はやぶさ2は来年の11月には帰還する予定とのことで、採取されたものの分析によっては、生命体の可能性もあるとのことで楽しみです。

これから10月27日まで1カ月余りの開催期間には、多くの参加者が太陽系ウォークを通して、宇宙の広さを実感されることでしょう。

さらに、世界天文年の2009年7月7日、国立天文台第1号官舎を復元して生まれたのが「三鷹市星と森と絵本の家」です。
国立天文台の敷地内にあるにも関わらず、三鷹市の管理運営する施設として、多くのボランティアの皆様と運営できていることは、本当に稀有な事例だと思います。

開館日の7月7日の七夕の日に、開館当時の観山台長は宇宙の話を、私は宇宙に関する絵本の読み聞かせをしましたが、それ以降の歴代台長と私は開館記念日に、台長は企画展のテーマと合わせた宇宙のお話を、私はテーマに沿った絵本の読み聞かせをするという恒例を、私の市長在任中は重ねてきました。
こうしたことも、協働の一つの表れと思います。

そして、開館10周年を迎える2019年3月には当時の三鷹市長として35万人目の来館者を迎えました。

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星と森と絵本の家での開館記念日の絵本の読み聞かせ(林正彦前台長と)

子どもたちに天体望遠鏡を届ける会会長としての海部先生

海部先生は2012年8月から2015年までIAU(世界天文学連合)の会長をつとめられました。
IAU会長を務めるのはアジアで3人目、日本では古在由秀先生に次いで2人目です。

海部台長、観山台長、林台長、常田台長、歴代の台長が「国立天文台のあるまち三鷹」をさまざまなアプローチで活性化されてきました。
海部先生が2008年に設立された「子どもたちに天体望遠鏡を届ける会」は、土星の環や金星の満ち欠けが観察可能な組み立て式簡易天体望遠鏡キットをつくり、全国の子どもたちに届けたいという思いから、活動を進められています。
その最終目標は「一家に1台、天体望遠鏡」です。
ガリレオが宇宙を初めて観察したものと同程度の小型望遠鏡を安価に製作して、国立天文台本部のある三鷹市はもちろん、日本全国の子どもたちに配布し、かつてガリレオが体験した驚きや発見の追体験を促すことが目的です。

「子どもたちに天体望遠鏡を届ける会」の皆様は、開発と検証を繰り返し、誰でもが入手可能な価格でその性能を実現しうる望遠鏡が完成しました。
そこで、一人でも多くの子どもたちにそれを届けるための第一歩として、まずは国立天文台の地元の三鷹市の小中学校に約50台の天体望遠鏡を届けるというプロジェクトに取り組まれました。

三鷹市内の一部の小学校では、任意団体の協力を得てPTAを中心に10年以上もアストロクラブの活動が運営されています。
天体観望会が開かれるなど、三鷹市は「天文台があるまち」として、暮らしの中で天文学を楽しむまちに向け、市民の皆様がいろいろな活動を行っています。

そんな時に、三鷹市の小中学校への50台の天体望遠鏡の配布が構想されたことは、本当にありがたいことです。
子どもたちが宇宙への扉を開き、身近に位置付けて、天文学を含む自然科学への興味をもつきっかけを望遠鏡がうみだすように思います。

天体は「光年」が単位であるように、本当に遠い距離にあり、虫や植物のように手にとって調べることはできません。
しかも、都市においては、肉眼で見上げているだけでは月の満ち欠けがようやくわかるだけです。

今からおよそ400年前、ガリレオが天体望遠鏡という道具を通して、月の表面の姿や木星のまわりを回る小さな四つの星などを発見することで、天体は身近になってきたのです。
このガリレオの感動を追体験することを、天文学者は「ガリレオ体験」と呼んでいます。

海部先生は、特に子どもたちが自らの手で苦労して望遠鏡を組み立て、自らが工夫して天体を観察して、肉眼では見えなかった宇宙を見つける喜びの体験を子どもたちに得てほしいと願われたのです。
それは、私が初めて海部先生と出会った時に、国立天文台を自然科学公園のようなものにしたいとおっしゃったお気持ちと重なります。

子どもたちが、国立天文台に来られないとしても、それぞれの場所で天体望遠鏡を道具にして、自然や宇宙に興味を持つならば、それは知的好奇心と自然への敬意と思いやりをもつ上で大きな契機になるのではないでしょうか。

夜は子どもたちにとっては学校の授業がない時間帯ですが、望遠鏡で天体を見るには夜の時間帯に天体望遠鏡を操作する必要があります。
そこで、学校で使い方を学んで、家で家族と一緒に子どもたちが自分で操作できる天体望遠鏡が必要と言えます。

国立天文台の職員有志らが、2019年にクラウドファンディングで寄付を募ったところ、一定の金額が集まり、三鷹市内の小中学校に数十個が寄贈され、授業で使用されるとともに検証がなされるとのことです。

この事例のように、海部先生は、いつも子どもたちを、未来を見つめていらっしゃいました。

結びに

私にとっては海部先生は、2018年5月13日に開かれた国立天文台初代台長であり三鷹市名誉市民でいらした古在由秀先生を送る会でお目にかかってお話をしたのが最後になりました。
海部先生の天文学における偉大なるご業績が継承され発展していくとともに、天文学を広くあまねく普及したいとの想いが、国立天文台、世界天文学連合等で着実に継承されていかれることを心から願っています。

海部先生は天文学の査読付き論文を多く発表されただけではなく、2011年毎日書評賞を受賞された『世界を知る101冊-科学から何が見えるか-』(岩波書店・2011年)をはじめ『77冊から読む科学と不確実な社会』(岩波書店・2019年)など、読書家であり、天文学の分野にこだわらない幅広い博識をお持ちでした。
だからこそ、在りし日の先生のユーモアと機知に富んだお話が心に刻まれています。

どうぞ、天国でも海部先生らしくお過ごしになられますようにお祈りいたします。
そして、ご遺族様はじめ、私たちを見守っていただければ幸いです。

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