三鷹市の新川天神社の神殿脇の2つの祠、小さな殿舎。
学問の神様として慕われている三鷹市の新川天神社の神殿脇には2つの祠(ほこら)、小さな殿舎があります。
1つは「大山石尊祠」です。
その祠には、以前は雨乞いのために農家の全員が神奈川県の大山阿夫利神社にお参りしていましたが、昭和30(1955)年からは持ち回りの代参として、8月16日に祠に水をかけて五穀豊穣を祈ると書かれています。
もう一つは「疱瘡祈念祠」です。
祠には「天保6(1835)年に大流行して多くの死者を出した疱瘡(ほうそう)の沈静化を願い建立した」と書かれています。
疱瘡は、痘瘡(とうそう)とも呼ばれており、天然痘ウイルスによる感染症で、日本では古くは平安時代に「豌豆瘡(わんずかさ)」と記されてから、たびたび流行を繰り返し、そのたびに大勢の死者が出たことが記録されています。
18世紀に、イギリスの医学者で「近代免疫学の父」と呼ばれているエドワード・ジェンナーが発見した種痘といういわゆるワクチンの普及で、1980年5月、WHO(世界保健機関)により根絶宣言が出されています。
さて、新型コロナウイルスは、一向に感染者数が減りません。
7月4日も東京都の感染者は518人で、1週間前より132人多くなっています。
また、7月に入ってから私が住む三鷹市を含む多くの自治体では、39歳以下の住民に接種券の送付が開始されつつある段階に入ってから、国からのワクチンの供給不足が伝えられたことからかワクチン接種の予約は一時中止となっています。
先行きが相変わらず不透明です。
ちょうど186年前に、この地域に現在のコロナ禍と同様の死者をもたらすような「疱瘡」という感染症の流行の苦しみがあったこと、そして、その撲滅に向けた強い願いと祈りがあったことに想いを馳せています。