東京2020オリンピックの三鷹市聖火リレー走者森屋賢さんにお話をうかがいました。
東京2020オリンピックの聖火リレーは、伊豆諸島、小笠原諸島を巡って、7月16日に武蔵野陸上競技場に到着しました。
市部では、緊急事態宣言発令中であることから、公道でのリレーは実施されないこととなりました。
そこで、この競技場では、調布市、三鷹市、武蔵野市の順番でトーチキスのセレモニーが行われました。
三鷹市の自治体選出のランナーは、三鷹市体育協会会長の吉田武さん、元オリンピック・バレーボール選手の狩野舞子さんであることを、三鷹市の広報紙で知っていましたが、そのほかのランナーについては翌日の新聞報道で知りました。
ランナーの中に、私が三鷹市長在任中にJA東京むさし三鷹地区青壮年部長として活躍された野菜農家の森屋賢(さとし、43歳)さんのお名前と写真を発見しました。
当時、森屋さんには、東京オリンピック・パラリンピックに関する地域連携協議会の委員をお願いするとともに、青壮年部と三鷹市は連携して、三鷹市出身のトライアスロンの高橋侑子選手の応援をしてきました。
そこで、ご近所ですので、畑にお伺いして、聖火ランナーを務めた経緯や想い、感想をお聞きしました。
森屋さんは高校時代は陸上部に在籍して、大学は、1996年に日本体育大学に進学しました。
森屋さんは高校の陸上部のコーチがトライアスロンをしていたことから、トライアスロンに興味を持っていましたが、実は水泳は得意ではありませんでした。
そこで、大学にトライアスロン部があることを知って、挑戦することにしました。
まずはトライアスロン用の自転車を購入して、得意の陸上に加えて水泳を練習し直したのです。
大学を卒業してからも、スポーツへの関心は高まり、2001年には、これからのスポーツは部活動ではなく、「総合型地域スポーツクラブ」が主体となることを知り、オーストラリアに渡航しホームステイをしてスポーツプログラマーについて学びました。
また、障がい者の水泳教室の指導者としての活動もしました。
こうした経験から、東京オリンピックとパラリンピックが、対等に、並列に開催され、障がい者スポーツが重視されることの意義を受け止めていきたいと思い、熟慮してスポンサー枠の聖火ランナーに応募しました。
とはいえ、昨年に実施予定の聖火リレーまでには選ばれたという連絡はありませんでしたので、選出されなかったと思っていました。
そして、コロナ禍で昨年のオリンピック・パラリンピックの開催が今年に延期されました。
すると、昨年の12月24日のクリスマスイブに、聖火ランナーに選ばれたという連絡が突然に届いたそうです。
森屋さんは、「きっと自分は補欠だったようで、なんらかの理由で出られなくなった方がいて、自分に順番が回って来たのではないかと思っています」と謙虚に受け止めています。
さて、7月16日の聖火リレーは緊急事態宣言下であり、公道を走ることはできなくなり、しかも会場も三鷹市内ではなくなりました。
オリンピック・パラリンピックの開催についても、中止や延期を求める声も多くなってきました。
森屋さんも、そうした状況を踏まえて、健康管理に努めつつ、大変に複雑な気持ちで当日のトーチキスに臨んだそうです。
何よりも、ギリシャから日本全国を回り、東京に来るまでに約1万人のランナーが聖火をつないできたことを重く受け止めて、三鷹市のランナーの一人としてしっかりと次につないでいきたいとの想いで、会場に向かったそうです。
当日、聖火を次の選手につなぐ役割を果たすまでの長時間、持っているトーチはずっしりと重かったそうです。
私も持たせていただきましたが、確かに想像より重いものでした。
森屋さんは、その重さは今回の世界的なコロナ禍そのものが持つ困難な状況、それゆえに人々のオリンピック・パラリンピックに対する想いが多様であることなど、大変に厳しい環境で開催されるオリンピック・パラリンピックがもたらしている重さではないかと感じたそうです。
そうした中で、多くの聖火ランナーがつないできた聖火が持つ意義の重みとそれをつなぐ責任の重みを感じて臨んだそうです。
森屋さんはトーチは記念にいただいたそうで、先日まで三鷹市立北野小学校に貸し出して、児童に見ていただいていたとのことです。
今後も学校や高齢者施設等の希望に応じて貸し出したり、聖火ランナーの経験を語り伝えたいと考えているそうです。
森屋さんには、丹精したナスの畑で、厳しい環境下で聖火ランナーを務められた想いを簡潔に語っていただきました。
是非、お聴きください。