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学校法人片柳学園の蒲田本部を訪問しました。

学校法人片柳学園の蒲田本部を訪問しました。

10月15日、私は東京工科大学及び日本工学院専門学校を擁する学校法人片柳学園の蒲田本部を訪問しました。
入り口には、今夏、日本工学院の卒業生の組織である「校友会」から寄贈された初代理事長の片柳鴻先生の胸像がありました。
私は二代目理事長で長身の千葉茂理事長とオンライン教育システムやロボティックスがご専門の東京工科大学の大山恭弘学長と懇談しました。

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私はかつて、東京工科大学において1999年4月1日に日本で初めて創設された「メディア学部」の創設メンバーの教授として着任し、初代の相磯秀夫学部長が学長に就任された2002年4月1日から2代目のメディ学部長をつとめていました。
そこで、当時副理事長でいらした千葉理事長及び工学部教授でいらした大山学長とは大変に深いご縁があります。

なにしろ、私は当時メディア学部の最年少の教授であり、しかも学部長にはまだ女性の就任が少ない時期でもあった2002年4月に、私を学部長にと推してくださったメディ学部の教員の皆様は、「清原さんは、若いからこそ、女性だからこそ、日本初の『メディ学部』の学部長として私たちと一緒に教育・研究に取り組むのにふさわしい。共に頑張りましょう。」と言って私を選任し、学部づくりに取り組んでくださいました。
本当に、ありがたいことです。

それにも関わらず、私はその後、思いがけず三鷹市長選挙に挑戦することになり、学部長及び教授を年度末を待たずに同年2月初旬に退任して大きなご迷惑をおかけしていました。
この日も、
「当時は、最初のメディ学部の卒業生を送り出すにあたって和英両文の卒業証書を用意し、4月からの大学院開設に向けた文部科学省設置審議会の面接を受けた責任者である私が突如退任することは、学生や教職員はじめ多くの大学関係者にご迷惑をおかけしてごめんください」
と改めてお詫びしました。
すると、千葉理事長は
「もちろん初めてその話を聞いた時は驚きましたが、当時の片柳理事長も私も、相磯学長も、教職員も、片柳学園は創設当時から家族的な学園で、清原さんという家族の一員が本人も思いがけず地域のために選挙に出ることになったのなら、家族のメンバーはみんなで見守って応援しようという気持ちでした。一番大変なのは突然選挙に取り組むことになった清原さんなんだし」とほほ笑んでくださいました。
その包容力に、本当に感激しました。

東京工科大学は、私が三鷹市長に就任してからも、たとえば「NPO法人三鷹ネットワーク大学推進機構」創設にあたって、歴代学長には理事として協力していただくなど、一貫してご理解とご協力をいただいてきました。
この間、コロナ禍で、理事長・学長にはなかなかお目にかかる機会を持てずにいました。そんな今年の6月に、私は文部科学省中央教育審議会生涯学習分科会長に選ばれ、その役割を務めていますが、千葉茂理事長が生涯学習分科会の専門委員に選任されたことで、オンライン会議越しの再会の機会が生まれました。
ようやく9月末で「緊急事態宣言」が解除されましたので、お久しぶりに相互の近況報告と教育分野に関する意見交換の機会を作っていただきました。

東京工科大学は片柳学園による日本工学院専門学校での教育実践を前身に、1986年に八王子キャンパスで開学し、私の在職中は、工学部、メディア学部の2学部でしたが、現在は工学部、コンピュータサイエンス学部、メディア学部、応用生物学部、デザイン学部、医療保健学部の6つの学部を擁しています。
2010年以降、日本工学院専門学校が所在していた蒲田に新キャンパスが整備されています。
私は、今回は蒲田キャンパスを訪問しました。
この間、美しいキャンパスのホールを職域のワクチン接種会場に提供するなど、教育研究以外の地域貢献にも力を入れている片柳学園に感謝し、その発展を心からお祈りいたします。

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