新川中原住民協議会主催「コミュニティまつり」で起震車を体験
五月晴れの土曜日、新川中原住民協議会主催「コミュニティまつり」を訪ねました。
例年は4月に実施されているコミュニティまつりですが、今年は4月に市議会議員選挙・市長選挙があったので、5月の開催となりました。
コミュニティセンター隣接のあおやぎ広場では、主として「安全・安心」をテーマに、パトカー、三鷹消防署のはしご車、消防団のポンプ車が展示され、乗車体験が行われています。
また、火災の煙を体験できるコーナーや地震の揺れの体験ができる起震車がありました。
市長在職時は、市民の皆様の体験の機会を優先したいとの思いから、行列のある時は体験を遠慮してきた起震車ですが、今回は市長職を退任し、地域住民として参加しましたので、私は皆さんとご一緒に長い行列に並んで起震車を体験しました。
最近も、宮崎県の日向灘を震源とする地震や岩手県沖を震源とする地震が発生しており、首都圏での発生も懸念されています。
平成23年(2011年3月11日に発生した地震は、三鷹市で「震度5弱」でした。
地震発生の午後2時46分は、ちょうど市議会の次年度の予算審査特別委員会を開会中でした。
あまりの大きな揺れが長く続きましたので、私は机の下に身を隠して揺れを凌ぎました。
そして、携帯電話に入ってきた「東北地方で震度7、大津波警報が発令」との速報を伊藤俊明委員長に伝えました。
委員長は、直ちに休憩にするので、災害対策本部長である市長は、直ちに対応をしてくださいとのことでした。
私は急いで庁内及び体育館等の被害状況を確認したうえで、放送室に向かい、自らマイクをとって、地震の状況を伝えました。
要約すると、
「ご来庁の市民の皆様、ただいま、東北地方で震度7の地震が発生し、三鷹市では震度5弱でした。庁内では書棚が倒れるなど一定の被害が出ていますので、皆様、余震等にお気をつけて、落ち着いて帰宅してください。職員に連絡します。まもなく、災害対策本部会議を開きますので、直ちに部長の皆さんは参集してください。」
と連絡しました。
もちろん、原稿など用意するのではなく、大きな揺れで、動揺している市民の皆様、職員の皆さんに当時の最新の情報を伝えて、落ち着いて行動していただくようにとの想いで行動しました。
その後、保育園や学校の児童・生徒の安全確保や帰宅困難者対策など、それまでの防災訓練だけでは対応できない事態に対応する日々が始まったのです。
さて、起震車では東日本大震災の三鷹市での震度を上回る「震度5強」の体験でした。
普通に立っているとまったく不安定で、机の下に身を隠して安全確保をしようとしましたが、指導員の方から「もっと体を入れてください」と声をかけていただくほどに「頭隠して尻隠さず」という諺(ことわざ)通りの姿でした。
一定の揺れを体験して、起震車を離れようとするとき、指導員の方から確認が入りました。
「もしも、震災時に家を離れて避難するときに、することは?」
との質問です。
「しっかり電気のブレーカーを下げて離れます」
と起震車の壁に付いているブレーカーを下すと、「正解です」と声がかかりました。
当日、大人の皆さんだけの体験の際には、なんと「震度6弱」の体験をされていました。
その揺れを見ていますと、体を支えるのが精いっぱいのご様子で、高いところに置いてあるマットレスが落ちてきます。
やわらかいものですので、被害はありませんが、高いところの固いものが落ちてきたら、それだけでケガを負うことになるでしょう。
我が家の自分の部屋の状況を再確認すると、高いところに重いもの、固いものが置いてあります。
書棚などの家具には転倒防止装置を付けてありますが、壁の絵画や家族写真の額が安全であるかを再検討する必要があります。
災害対策本部長の役割と責務を離れて、毎日の緊張感はやや緩んでいますが、災害はいつやってくるかわかりません。
新川中原コミュニティまつりで、改めて、地域の安全安心は、一人ひとりの意識と防災対策、そして、一軒一軒の住宅の防災に向けた安全確保、それを啓発していただく住民協議会や自主防災組織の働きかけが不可欠であることを再確認しました。