ベルリン日独センター主催「民主主義の未来II 市民参画の拡充は民主主義の危機脱出につながるか?ー制度化された市民参画ー」にパネリストとして参加しました。
3月3日、 ベルリン日独センター主催の日独パネルディスカッション「民主主義の未来II 市民参画の拡充は民主主義の危機脱出につながるか?ー制度化された市民参画ー」にパネリストとして参加しました。
このパネルディスカッションは同時通訳付きのオンラインシステムを使用して実施されましたので、ドイツ語を全くできない私も参加できました。
私以外のパネリストは
○ブリギッテ・ガイセル博士(フランクフルト・アム・マイン=ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学「民主主義的革新」研究ユニット・ダイレクター)
○フランクフルト・アム・マインヒューステベックももよ博士(ドイツ連邦教育研究省支援プロジェクト「参加 型民主主義の革新的形態――日独比較で見る討論型市民参加」プロジェクトリーダー、 デュースブルク・エッセン大学東アジア研究所)
○デュースブルクヤン=ヘンドリック・カムラーゲ博士(ボーフム・ルール大学経済学部 環境マネジメント・資源・エネルギー研究所(CURE)所長、研究グループ「市民参画と変革」グ ループ長)
○長野基先生(東京都立大学都市環境学部都市政策科学科准教授&日本ミニ・パブリックス研究フォーラム)
司会のフェーベ=ステラー・ホルドグリューン博士(ベルリン日独センタープロジェクトマネージメント部長)の進行で、日独の市民参画ツール、例えば市民フォーラムやミニパブリックス(市民討議会)などの全体的な現状及び具体的な事例を共有し、このような市民対話が本当に民主主義の危機への対応策となり得るか、制度化された参画型フォーラムの可能性と課題について討議しました。
私は、三鷹市長当時の事例の前提として私自身の市民参加と協働の経験を報告しました。
私は20代の大学院生の頃、三鷹市役所から依頼されて学生及び20代の女性市民の代表として第1次基本計画の策定に係る市民会議に参加の機会を得たのを端緒に、第2次基本計画策定の際には大学研究者として市民会議に参画し、第3次基本計画の際には全員公募市民による「みたか市民プラン21会議」の共同代表として市とパートナーシップ協定を交わして素案を提案しました。
このような参加と協働の経験をした私は2003年に三鷹市長に就任したわけですが、私は改めて、既に地域団体で活動したり公募に応募したりしている市民参加に意欲のある市民の皆様の参加だけでなく、いわゆるサイレントマジョリティ(声なき声)の市民の皆様の声も反映したいと考えました。
そうした時、ドイツの「プラーヌンクスツェレ」の手法を踏まえて、2005年に東京青年会議所が千代田区で実施した「無作為抽出による市民討議会」の事例を学び、三鷹市でもその取り組みを行いたいと決意しました。
そこで、2006年に三鷹青年会議所とパートナーシップ協定を交わし、無作為抽出で市民の皆様に依頼して特定のテーマについて討議していただく市民討議会を「三鷹まちづくりディスカッション」の名称で初めて実施しました。
これは全国の市では初めての取り組みでした。
その後、第4次基本計画策定に向けた実施を含めて市長在任中に延べ9回にわたって実施しました。
その際参加した市民の皆様から、市長から参加を要請されなければ市政への関心も少なかったし、討議したり提案したりする気持ちはほとんどなかったが、参加することで、参加の意義を強く感じたという声があったことを報告しました。
ドイツでも日本でも、このような市民参画の事例は国政ではほとんどなく、自治体で多いとの共通点が共有されました。
そして、民主主義における市民参加と協働の課題について討議を行いました。
私は、パンデミックの状況下のドイツの市民参画の取り組みについて質問し、ドイツではオンライン、デジタル化で代替できる部分は多くはないようですが、何もしないよりはよいとの考えから多様な模索があることがわかりました。
ドイツはヨーロッパにあり、現在近くで戦争が行われているという厳しい状況です。そこで、冒頭に主催者として挨拶されたベルリン日独協会事務総長のユリア・ミュンヒさんは、「パンデミックと戦争が身近なこのような時だからこそ、民主主義、国民主権を持続可能なものにしなければならない」と決意を述べられました。
私も、このパネルディスカッションに参加して、どんなことがあっても、平和主義に基づき、国民主権、基本的人権の保障を確保する民主主義体制を堅持するために、一人の市民・国民として引き続き参画していきたいとの強い想いを再確認しました。