こども家庭庁の創設をシングルマザーの経験から考える(その1)
第208回通常国会の最終日にあたる 6月15日、参議院本会議で、こども家庭庁設置法案、こども家庭庁設置法の施行に伴う関係法律の整備に関する法律案、こども基本法案が賛成多数で可決されました。
インターネット中継(録画)で、これらの法案への「付帯決議」や本会議での議員の皆様による「討論」をお聞きして、国会議員の皆様が本当に真摯に審議された上での可決であることの重みを受け止めると共に、法律が施行された後の適切な具体化と検証が求められていることを認識しました。
私は参議院内閣委員会におけるこの3つの法案の審議に際して、6月7日、参考人として招致されたことから、その法案がこのように慎重に審議され可決されるプロセスに貢献できたことを光栄に思います。
来年の4月からこども家庭庁が創設されることになった今、私は長女が10歳、次女が6歳の時からシングルマザーとして27年、働きながらこどもたちを育ててきた自分の経験を振り返っています。
私の場合は、シングルマザーになるまでも大学教員として働いてきました。教育と研究、地域社会や行政への参加などの活動によって時間が不規則な職業の私の子育てでしたので、こどもたちには少なくない困難があったと思います。
娘たちの日常生活と私の子育てを支えてくれたのは、小売の酒屋を夫婦2人で経営していた私の両親でした。
私がシングルマザーになると同時に長女は公立小学校から私立小学校に編入し、次女も同じ私立小学校に入学しました。
毎朝娘たちをスクールバスのバス停まで送り、こどもたちは学校が終わると路線バスを乗り継いで両親のお店に帰り、夜、私が迎えに行って自宅に連れて帰るという毎日でした。
また、私は学会、社会調査や講演等で土日の出張が多くありましたが、原則として、目的地が北海道でも沖縄県でも日帰りで済ませました。
やがて、両親の近くに転居して、両親も同居の決断をしてくれましたので、母親の不規則な生活時間に不安定だったこどもたちのくらしの安定度と安心度が少しは向上しました。
2003年4月からは、私は思いがけず三鷹市長に就任しましたので、当時大学1年生の長女はまだしも、中学3年生の次女の当惑は計り知れません。
思春期の二人の娘たちにとって、未知の市長職に就任し、一年365日、市民の為に働くことになった母親の仕事のことを理解はできなくても、とにかく納得してくれたことに感謝しています。
私自身が「こどもまんなか」の母親であったのか、考えると忸怩たる思いがあります。
こども家庭庁の取り組みについては、私の家庭の事例などに見られるような、こどもたちの多様性、家庭の多様性を尊重して適切に行われることを期待したいと思います。