戦後77年の終戦記念日を迎えました。
戦後77年目の8月15日。
コロナ禍で3年ぶりに開催の「みたか平和のつどい 三鷹市戦没者追悼式並びに平和祈念式典」に参加しました。
三鷹市遺族会の中山和政会長は、式典の「追悼と平和祈念のことば」の中で、「終戦から77年、戦争の体験者が少なくなる中で『世代をこえて平和を考える日』の式典が3年ぶりに開催されたことは意義深い」と語りました。
本当にそう思います。
コロナ禍が戦争の悲惨さを薄めたり、恒久平和を希う想いを損なうことなど絶対にあってはなりません。
三鷹市戦没者追悼式並びに平和祈念式典の終了後、三鷹市遺族会の中山和政会長、山本正和副会長、石井副会長と久しぶりに再会して、みんなが元気であったことを喜び合いました。
この2年あまりは、春秋の慰霊祭をはじめ、定例行事を中止とせざるを得ず、戦争の記憶が風化することを恐れていたので、感染を恐れつつも、今日の式典が開けてよかったと笑顔でした。
また、壇上で来賓として出席されていた三鷹市原爆被害者の会(三友会)の会長である大岩孝平さんとも、式典の終了後に少しの時間、対話しました。
大岩さんは、長らく一緒に活動して来た副会長の佐野博敏さん(都立大学元総長・大妻女子大学元学長・放射化学専攻)が6月に94歳で亡くなられたことを極めて残念ですと知らせてくださいました。
私が三鷹市長在任中の2015年には、佐野さんに、市民の皆様を対象とする「戦後70年地球市民講座」で、「私のヒロシマの記憶」と題して、ご自身の広島での被曝体験を語っていただきました。
私は、ありし日の佐野さんを思い出しながら献花台に向かいました。
式典開会の1時間前に、代表献花があったそうですが、三密を避けるためか、一般市民には広報されていませんでしたので様子は分かりません。
11時以降には誰でも献花できるとのことでしたので、11時過ぎに会場に着きますと、行列などはなく、ゆったりと献花することができました。
私は、先の戦争において、平和のために尊い命を捧げられた皆様に、心からの感謝を込めて哀悼の意を表するとともに、決して風化させてはいけないと思いを込めて白い菊を捧げました。
帰路、戦争末期に19歳で徴兵され、中国の旧満州地域や朝鮮半島で一兵士として自分の命の未来に不安を抱きつつ、戦場で緊張の年月を過ごした父のお墓参りに行きました。
8月15日は、戦争と平和、人の命の重さについて、じっくりと考える時間をもつ日と言えます。