広島の平和記念の日と、三鷹市原爆被害者の会の大岩孝平さんの逝去について
令和5(2023年)8月6日朝、広島市では、【平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)】が厳かに挙行されました。
松井一實広島市長は、【平和宣言】において、「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか。市民社会においては、一人一人が、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」というメッセージに込められた人類愛や寛容の精神を共有するとともに、個人の尊厳や安全が損なわれない平和な世界の実現に向け、為政者に核抑止論から脱却を促すことがますます重要になっています」と訴えました。
私は、被爆78周年の広島での式典を踏まえ、9日には長崎での式典を迎える時を迎えて、改めて被爆の実相から目をそらすことなく、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願います。
さて、三鷹市原爆被害者の会(三友会)会長で、東京都の被爆者の会である(一社)東友会の前の代表理事で、2005年に国連でNPT会議が開かれた際にはニューヨークを訪ねて、各国の国連大使などに核廃絶を訴えた大岩孝平さんが、2023年3月7日、肝硬変で逝去されました。享年90歳でした。
大岩さんとは、大岩さんご自身が被爆された広島市の原爆祈念式典でも、長崎市の原爆祈念式典でも、お目にかかったことがあります。
また、三鷹市では、小中学生に被爆体験を語っていただき、平和教育に活躍していただきました。
そして、市長在任中は毎年のように三友会の皆様と懇談の機会を持っていて、その際に被爆にかかる施設整備の要望をいただいてきましたが、私は、いわゆる箱物として建物を建てることはなかなか困難なので、市役所内に戦争や被爆等に関する資料を提示する場所を確保すると共に、ホームページから閲覧できる【デジタル平和資料館】を開設することにしました。
その際、大岩さんはじめ三友会の被爆者の皆様に被爆体験のビデオ化に協力していただきました。
特に印象的なのは、2018年に、1958年11月16日に、東京都在住の被爆者によって結成され、被爆者と家族の為の事業を続けている「東友会 」の前会長であった大岩孝平さんから、【東友会創立60周年】の記念品として【おねがい・折り鶴】の人形を頂いたことです。平和と核兵器廃絶を願う折鶴を手にしたこどもの笑顔に引き込まれます。
大岩さんの逝去を知らせる「三友会ニュース」によれば、大岩さんのご逝去とともに、「被爆者の方も病気療養中の方ばかりなので、残念ですが、原爆被害者の会の活動を休止される」そうです。被爆者の高齢化により、活動が節目を迎えているのです。
昨年8月15日に開催された「三鷹市世代を超えて平和を考える日・戦没者追悼式並びに平和祈念式典」で久しぶりにおめにかかり語り合ったことを思い出しつつ、ご遺族様にお悔やみの電話をしました。
すると、ご遺族様は、お棺の中に大岩さんとご縁のある方々の写真を入れたそうですが、その中に昨年撮影したと思われる大岩さんと私との写真も入れてくださったそうです。
私はご逝去について知らずにいましたので、残念ながらご葬儀には参列できませんでしたが、私が写っている写真が大岩さんをお見送りしたことを伺い、ご遺族様のご厚意に胸がいっぱいになりました。
被爆者として非核平和に向けた多様な活動を担ってこられた大岩さんのお優しい中にも毅然としたお人柄を偲びつつ、深く哀悼の意を表します。