上野公園の西郷隆盛の銅像と愛犬の死
我が家には2頭の愛犬がいましたが、7月にその内の1頭である11歳半のパピヨンの雌の「ちよ」が急死しました。
酷暑の中、急に体調を崩してから1日半後のあまりの突然の死を前に、家族は皆、言葉より先に涙が出てしまうという経験をしました。
ようやく1か月が過ぎて、少しずつ落ち着いてきましたが、まさに「ペットロス」の経験を家族で支え合って乗り越えて来ました。
愛犬を失った直後の7月中旬に上野公園に行く機会があり、本当に久しぶりに愛犬を連れて立つ西郷隆盛の銅像に出会いました。
西郷隆盛は、幕末にあって新しい日本を作るために土佐出身の坂本竜馬、長州藩の木戸孝允らとともに立ち上がり行動した人です。
歴史を学ぶと、「薩長同盟」を通して、旧幕府軍を追い詰めたリーダーとしての活躍、さらには、旧幕府軍の本拠地である江戸城を攻めたときは旧幕府軍側の勝海舟と話し合い、江戸城の無血開城を成功させ江戸の街を戦火から救った人であることも学びました。
西郷隆盛は1868年に新政府軍として上野に攻め込み、幕府軍と戦いました。そして、西郷隆盛はその新政府軍を率いて勝利に導きました。
そこで、この像はその功績をたたえるために建てられたものであり、1898年に除幕式が行われたとのことです。銅像はイタリア人画家のエドアルド・キヨッソーネの肖像画を基に高村光雲によって作られたということですが、とにかく見上げるほどの背の高い立派な像です。
こうした歴史的な背景を知りつつも、私にとっては幼い頃から都立上野動物園などを訪問する際に出会ってきたのは、浴衣姿で犬を連れた普段着の西郷隆盛の像であり、私は【愛犬家】としての印象を強く持ってきました。
上野公園は、西郷隆盛が率いる新政府軍が旧幕府軍と戦った場所ですので、本来は軍服姿であるはずのところ、何らかの事情で浴衣姿であることが、犬を愛した「人間西郷隆盛」を感じさせてきたのかもしれません。
以前に見たことがある鹿児島市の城山にある西郷隆盛像は、西南戦争で政府軍に敗北した西郷が自刃した地であるところ、陸軍大将の制服姿でしたから、上野の西郷像は余計に身近に感じさせてきたのかもしれません。
私が市長時代に出会った多くの市長さんはじめ人々には、信条や座右の銘に「敬天愛人」を挙げる方が多くいらっしゃいます。
西郷もまた、天を敬い、人を愛する意味を持つ「敬天愛人」という言葉を座右の銘としていたそうです。
身分、性別、年齢、出身等の違いにかかわらず徹底的に人を愛するように努めた人であり、犬も愛した人だったのでしょう。
上野公園の西郷像が連れている犬は、NHKの大河ドラマではウサギ狩りのお供をした「ツン」という名の薩摩犬として描かれていましたが、諸説があるようです。
今でこそペットである犬は、まさに家族の一員です。
けれども西郷の時代はまだ人間が犬を飼うことは狩猟に連れて行くか、防犯のためのいわゆる「番犬」の役割が目的だったと思います。そこで、犬と共に散歩をしている西郷像は、愛犬を失ったばかりの私に、喪失の悲しみを乗り越える強さを与えてくれたように思います。