戦後78回目の終戦の日を迎えて、改めて恒久平和を祈念します
戦後78回目の8月15日を迎えました。
戦後生まれで「戦争を知らないこどもたち」の1人であった私ですが、この日は、日本人として真の平和を希求し、考えるために、決していつもの日のように過ごすことができない日です。
今年も【みたか平和のつどい 世代をこえて平和を考える日~戦没者追悼式並びに平和祈念式典~】に参列しました。
三鷹市公会堂光のホールのホワイエ(ロビー)に設置された献花台にて、三鷹市遺族会の会長はじめ地域代表のご遺族の献花からつどいは始まります。
私も、代表献花の後に、参加された市民の皆様と心をこめて献花しました。
その後の式典では、まずは【追悼と平和祈念のことば】を、病欠された三鷹市長代理として副市長の土屋宏さん、三鷹市議会議長の伊藤俊明さん、三鷹市遺族会会長の山本正和さんが述べられました。
副市長と議長の言葉を通して、三鷹市は行政としても、市議会としても「三鷹市基本構想」の理念である「平和の希求・基本的人権の保障・自治の推進」及び「非核宣言都市」及び「三鷹市平和に関する条例」等の理念を堅持して、しっかりと平和のために行動する決意が披歴されました。
今年度、前会長の中山和政さんから会長職を引き継がれて初めての平和のつどいを迎えられた山本和正さんは、要約すると、次のように力強く語ります。
「遺族たちは悲しみと苦しみを乗りこえて、歯を食いしばって生きてきて今があります。昨年開始されたウクライナでの軍事行動やテロなどを知る時、犠牲者やご遺族を想うと未だに戦争が繰り返されていることは本当に残念です。日本の果たす国際社会での平和と安定に果たす役割は大きいと思います。愛すべき子や孫たちに戦争の体験をさせてはならないと強く思います。新型コロナの影響もありましたが、こうして一堂に集まることは有意義です。戦争を知る世代が減っている今、世代を超えて平和の意義を語り合うことの意味ははかりしれません。私たちふるさと三鷹市が緑豊かな環境のの中で安全に安心してすごせるまちになったのも、多くの戦没者の尊い犠牲の上に築かれたのです。遺族として、戦没者を追悼し深く感謝しつつ、皆様とご一緒に平和と繁栄のために努めていきたいと思います。」
その後、「いま語り伝えたいこと」として、市民を代表して、高麗幸江さんと中館文子さんが、戦争中の体験について、概要、次のように語ってくれました。
高麗さんは三鷹市生まれで、現在91歳です。
戦争中は都内の女学校に通っていましたが、空襲警報が鳴るたびに恐怖にかられながら、通学していました。
また、市内に戦闘機の部品を作っている工場があり、その工場を狙って米軍の戦闘機が襲撃し、墜落したことなどもありました。
また燃料のためにどんぐりを集めたこともあり、今思うと、それほど日本は追い詰められていたようです。
当時は三鷹市でも連日のように空襲警報があり、防空壕に隠れて凌ぎました。
8月15日には小さなラジオで天皇陛下のお言葉を聞いたのですが、今でいえば中学1年生であった私は、ほとんど記憶がないとはいえ、大人たちが泰然自若としていたようだと受け止めていました。
戦争はみんなが犠牲になるだけでよいことは一つもありません。
死を逃れたとしても、身体及び精神的なダメージは大きなものです。
ウクライナの戦争は残念であり、世界平和を特に願います。
続いて体験を話された中館さんは、長崎県佐世保市生まれの82歳です。昭和17年に父上が出征し、18年に弟さんが誕生したことから、島根県松江市の親族宅に避難しました。
けれども、そこでも、空襲があり、ある日は防空壕に逃げる時間もなく、押し入れに弟さんと隠れて怖い思いをしました。
ようやく何もなかったとはいえ、庭にあちこち残った焼夷弾の後に驚きました。
その後、お父さんが帰還して佐世保市に戻っても、自宅は焼け落ち、その後、住宅を転々としたり、戦後に生まれた弟が幼くして亡くなるなど、 苦労が続きました。
ウクライナの侵攻や災害の頻発のニュースに当時を思い出し涙が出ます。結婚して三鷹市に住んでからは、遺族会や福祉のボランティアを継続してきました。私の体験を伝えることで、日本でも尊い命の犠牲があって今の平和があることをぜひ皆さんに知ってほしいです。二度と戦争を繰り返してはなりません。恒久平和を祈念しています。
そして、三鷹中央学園三鷹市立第三小学校合唱団による歌が披露されました。
小林荘子先生の指揮、廣瀬桂花さんのピアノに合わせて、30余名の合唱団が、「COSMOS」「ほたるこい」「緑の虎」「いまの『いま』」の4曲の素晴らしいコーラスを奏でてくれました♪
私が三鷹市長在任中から、第三小学校合唱団、鷹南学園三鷹市立中原小学校合唱団、市内の大成学園高校コーラス部などの皆さんに合唱をお願いしてきましたが、今年も第三小学校合唱団の一生懸命なこどもたちの歌声を通して、「世代をこえて平和を考える日」の意義が表現されたように思います。
正午に会場の皆様と防災無線に合わせて黙祷される皆様と心を合わせて「黙祷」をささげました。そして、合唱団と会場とで「花は咲く」を合唱して閉会となりました。
閉会後、貴重な体験談を話してくださった、遺族会の活動とともに、日赤奉仕団の委員長をされている中館文子さんと再会を喜び合い、しばしの間懇談しました。
私は帰路に、先の大戦の戦中戦後を、兵士として、帰還兵として過ごした父、都内で看護師・助産師として厳しい青春時代を経験した母を偲び、両親のお墓参りをしました。
戦後78年のこの日、改めて戦没者の御霊に心から敬意を表し深く感謝し、改めて世界の恒久平和を真心こめて祈念致します。