三鷹三田会のメンバーと慶應義塾大学三田キャンパスを訪問(その1)
先日、所属する三鷹三田会(三鷹市の慶應義塾大学同窓会)の事業である「One-day Culture三田キャンパスツアー」に参加しました。
同窓会の名称に「三田」とあるように、慶應の代名詞にもなっている港区「三田」のキャンパスには、慶應義塾の歴史と伝統が刻まれています。
とりわけ国の重要文化財に認定されている「三田演説館」や「図書館旧館」は、明治の息吹とともに、大学の持つアカデミックな雰囲気を否が応でも醸し出しています。
赤れんがと花崗岩による外観が印象的な図書館旧館は、慶應義塾創立50周年記念の寄付で建てられ、明治45(1912)年5月に開館しました。
曾禰達蔵氏・中條精一郎氏の設計によるゴシック様式の建築は、関東大震災や空襲での損傷を乗り越えて、昭和44(1969)年に図書館の初期の建物部分が国の重要文化財に指定されました。
入り口を入って正面の踊り場北面に当初あった小川三知氏作のステンドグラスは戦災で焼失しましたが、慶應義塾図書館が重要文化財に指定されたことを小川氏の未亡人から知らされた小川門下の大竹龍蔵氏がステンドグラスの復元を申し入れ、和田英作氏の原画をもとに4年がかりでこれを制作したそうです。
昭和57(1982)年に図書館神官が開館して以降は旧館と呼ばれてきました。
その後免震化工事を経て、令和3(2021)年に「福沢諭吉記念慶應義塾史展示館」として生まれ変わりました。
この展示館に最近加わった時限の展示物として、ひときわ目を引いたのが、「令和5年度第105回全国高等学校野球選手権大会」で107年ぶりに優勝した慶應義塾高等学校に授与された真紅の優勝旗と盾、そして、森林貴彦監督と練習補助員として大村主将の「相棒」として、練習面・精神面からバックアップしたという細井克将選手の自筆のノートです。
今夏の優勝に関連して紹介されたのが、慶應義塾の野球部の「エンジョイ・ベースボール」の理念です。
報道によると、「エンジョイ・ベースボール」という言葉が初めて登場するのは1983年で、野球部卒業生の会報に、当時の慶大野球部監督だった前田祐吉さんが次のように記しているそうです。
「科学的・合理的な野球を目指し、エンジョイ・ベースボールを至上のもの」と考えるのが塾伝統の野球観である」と。
その後、部員たちが自主的に部のキャッチフレーズとして「エンジョイ・ベースボール」を掲げたということです。森林監督はインタビューに応えて、「勝利至上」ではなく、「成長至上」を考えて、選手の成長が勝利につながると語っています。私はその基盤となる理念は「独立自尊」ではないかと考えました。
ちなみに、今年の11月には、慶應義塾大学野球部も、東京六大学野球で4季ぶりに優勝しました。
展示館の展示は、福沢諭吉先生の障害と慶應義塾の歴史を多くの実物と当時の「言葉」「キーワード」でたどることができるように工夫されています。
慶應義塾の理念である「独立自尊(自立した人を学問で育む)」「実学(自分で考える学びへ)」「半学半教(学びつつ教え、教えつつ学ぶ)」自我作古(前人未踏に挑む意志)」「人間交際(人との交流が人間力を培う)」「社中協力(人のつながりを未来への力に)」を、福沢先生の具体的な取組みの事例、著書や新聞記事の紹介などから理解できる展示となっていました。
私は、法学部政治学科で学びましたが、当時は1、2年の教養課程は横浜市日吉キャンパスで授業を受け、3、4年になると、三田での授業を受けることになっていました。
しかしながら、私の在学中のカリキュラムでは、2年生から専門課程の指導教授の指導を少人数で受講する「研究会(ゼミナール)」が2年生で開講されていたことから、2年生から研究会のある曜日は三田に通学していました。
そして、私は大学院法学研究科修士課程政治学専攻で2年間、大学院社会学研究科博士課程社会学専攻で3年間学びましたので、学生として8年間三田に通学したことになります。
しかも、博士課程を単位取得退学してから、正規の大学教員になるまで4年間はいわゆる「オーバードクター」として、出身の研究会のサブゼミを担当したり、文学部の非常勤講師として三田キャンパスに通いました。
その後、日吉キャンパスでは、一時期法学部政治学科の1、2年生を対象にした「政治学」の講義、「政治学演習」の少人数ゼミの非常勤講師を務めるとともに、三田キャンパスでは「通信教育部サマースクーリング」で「政治過程論」の非常勤講師を務めたこともあり、三田キャンパスには特別の想い出があります。
とはいえ、この頃は尋ねないままに年月が過ぎていましたので、この日のキャンパスツアーは、文字通り青春時代を過ごした母校での「新しい発見」が続くツアーでした。