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三鷹市大沢住民協議会設立50周年記念式典に前市長として招待され、参列しました

三鷹市大沢住民協議会設立50周年記念式典に前市長として招待され、参列しました

11月19日(土)、三鷹市大沢住民協議会設立50周年記念式典に、前市長として招待され、参列しました。
文字通り「雲一つない秋晴れ」のもとでこの日を迎えた、岩田洋子会長、吉岡克俊副会長、菅沼将晴副会長、倉田清子副会長が、会場前でにこやかに歓迎してくださいました。
会場の体育館には、市役所・市議会関係者、警察署長、消防署長、地元の町会・自治会、小中学校等各活動団体の代表、市内の他の6つの住民協議会代表、大沢住民協議会歴代役員や事務局長などで、立錐の余地のないほどの多数の皆さんが参加されていました。
私は参列されていた三鷹市教育長職務代理者の畑谷貴美子さん、三鷹市住民協議会連絡会会長で駅前地区住民協議会の浅井弘史会長と記念写真を撮りました。

そして、行政学者である国際基督教大学の西尾隆先生ともお久しぶりに出会いました。西尾先生と1990年代に同じく市内の大学教員であった私は、「三鷹市まちづくり研究所」の研究員としてご一緒に三鷹市政に多くの提案をしました。
その中でも、1998年12月に「基本計画の原案づくりからの市民との協働を」と提案したことが、1999年10月に発足した全員公募の市民による基本構想と基本計画の原案作成について市と市民がパートナーシップ協定を交わして進めた「みたか市民プラン21会議」という、前例のない取組みの発足でした。
私はその組織の3名の共同代表の1人に選出され、2000年10月に基本構想と第3次基本計画の原案を提出し、それが2001年の基本構想の議決と基本計画の策定に反映されたのです。

この日、式典の開会前に、今年の5月に実施された設立50周年記念事業の「20年前に埋めたタイムカプセルの開封式」「第45回おおさわコミュニティまつり」「エアドーム・プラネタリウム」の模様及び「特にこども・若者のコミュニティ・センター利用者の声」を編集した映像が上映されました。
そして、倉田副会長の司会、吉岡副会長の開会の言葉で式典が始まりました。
岩田会長は式辞で、1973年10月に三鷹市で最初のコミュニティ・センターを住民自らが管理運営する団体として大沢住民協議会が設立された当時の意義を振り返りつつ、特にこの数年はコロナ禍でその運営について、役員会や部活動にオンラインを導入するなど苦労があったことを振り返りました。
そして、結びに、「福祉・防災・教育・環境の4つのキーワードを踏まえつつ、コミュニティセンターが引き続き活動の拠点としての機能を果たすとともに、地域活動のプラットフォームとしての機能を果たせるように、一歩一歩歩みを進めて行きたい。皆様の活動の場、ふれあいの場、こどもたちの居場所として活用していただき、温かい輪が広がり、地域の活性化につながることを心から願っています。」と語りました。

その後の来賓の祝辞の中で、三鷹市住民協議会連絡会会長で駅前地区住民協議会の浅井弘史会長が、紙を読むのではなく、落語の登場人物のやりとりを演じることで、楽しくおかしく、設立50周年の意義とそれを祝福する言葉を述べられたのが印象的でした。
その後、地元の三鷹囃子保存会のこども・若者が参加した「祝囃子」が披露されました。
そして、この50周年の経過の中で大いに貢献された地元の大沢宿町会・大澤原町会・大沢下原町会、コミュニティ・スクールを基盤とした小中一貫教育を進める「おおさわ学園」、永年功労者の皆様に感謝状が授与されました。
また、利用者の声を反映した設立50周年記念事業は、こども若者に自主学習の場を求める声が多かったことから、図書室にまずは個人の学習スペースを数か所整備し、今後も拡充を検討していくことが報告されました。
まさに、今、少子化の中で、コミュニティ・センターが「こどもの居場所」としての機能の拡充を検討していることは大変に心強いことです。
閉会の言葉で、菅沼副会長は参列者・関係者への感謝と共にこのように話しました。
「私はこのおおさわコミュニティセンターがオープンした1974年2月に誕生しました。そこで、コミュニティ・センターとともに生きてきた私は、これからのこどもたちにとって大切な居場所となるように、皆様にとって大切な活動場所となるように努めていきたいと思います。」と。
菅沼さんの50年の人生と、大沢住民協議会の歩みがまさに重なっているのですね。

今、地域コミュニティをめぐる環境は大きな転換期を迎えています。
そうした中、三鷹市内で最も長く活動している大沢住民協議会は、三鷹市内だけでなく全国の中でも最も長く活動しているコミュニティの団体とも言えます。
50年前は「コミュニティ再生」が言われました。
私は三鷹市長在任中に、昔のコミュニティのよさに戻す「コミュニティ再生」ではなく、時代の変動の中で求められるのは新しい地域のカタチを含む「コミュニティ創生」であると、基本計画の重点課題に位置付け、住民協議会をはじめ、NPOを含む市民の皆様の多様な活動との協働を進めました。
その後、この数年はコロナ禍や不況等との遭遇の中で、改めて「コミュニティ」の在り方が問われています。
この日の式典は、そのことを重く受け止め、確認するひと時でもありました。

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