「中田喜直生誕100年 三鷹でうまれた歌とともに めだかの学校ファミリーコンサート」を鑑賞しました
「中田喜直生誕100年 三鷹でうまれた歌とともに めだかの学校ファミリーコンサート」の主催は、三鷹市・(公財)三鷹市スポーツと文化財団で、ナカダ音楽事務所の中田基彦さん、永谷圭一郎さんらが制作に協力され、(一社)日本童謡協会が後援しています。
中田喜直さんは、関東大震災の1か月前に生まれて、陸軍航空隊に所属した後、戦後復員してすぐに住んだのが三鷹市だったのです。
父は「早春賦」を作曲した中田章さん、兄は「とんぼの思い出」「三鷹市立第二小学校校歌」「三鷹市立第五中学校校歌」などを作曲した中田一次さんです。
そして、弟の民夫さんは三鷹市立第二小学校の教諭をされたいた時期があり、中田ファミリーは三鷹市民にとって親しみのある存在です。
開会前に、制作協力された中田基彦さんに楽屋でお目にかかりました。
「生誕100年記念コンサートを三鷹市で開くことができて感慨無量です」と話される笑顔に、私も感慨無量です。
主催者挨拶で、三鷹市長は、中田喜直さんがいかに多くの童謡はじめ作品を三鷹在住中に生み出したかについて紹介するとともに、 自身が副市長時代の2010年からJR中央線の発車メロディが「めだかの学校」であることや、都立井の頭恩賜公園内に「小さい秋みつけた」の歌碑を建立したことを話す中で、当時それらに取り組んだ市長であった私が会場にいると紹介してくれました。
私は紹介に応えて席を立って、立錐の余地なく、多世代のお客様で満席の会場の皆様にこんにちはと挨拶しました。
当時、JR東日本の八王子支社長らに三鷹駅の発車ベルに三鷹ゆかりの中田喜直さんの曲をと提案して、可能なら春は「めだかの学校」
夏は「夏の思い出」、秋は「小さい秋みつけた」、冬は「雪の降るまちを」でと提案したところ、それはなかなか難しいので、1曲に絞ってくださいと言われたことを思い出しました。
コンサートの第2部では、春は関原斉子作詞の「さくら」でしたが、夏以降は私がその時提案した3曲を歌ってくださったので、私の夢が叶いました。
また、都立井の頭恩師公園内の歌碑は、市のみの事業とはしないで、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、青年会議所はじめ多くの個人や団体に実行委員会を組織していただき、寄付をしていただいて建立したものです。
クラウドファンディングが普及していない時期の市民との協働の文化事業として有意義なものだと思います。
さて、この日は、中田喜直さんの生前を知る歌手の眞理ヨシコさん、たいらいさおさん、稲村なおこさんに加えて、中田一次さんの娘さんの二期会会員の中田順子さんが、中田ファミリーを代表して参加されました。
第一部では「三鷹時代の中田喜直と中田ファミリー(音楽一家)を語りました。
そして、金子みすゞの詩による童謡歌曲集「ほしとたんぽぽ」より3曲と「早春賦」などを歌いました。
第一部の冒頭で「めだかの学校」を連弾したのはピアニストの篠崎仁美さんと、連雀学園三鷹市立南浦小学校6年の壹岐ののかさんです。
第二部の冒頭で「めだかの学校」と「夏の思い出」を演奏したのは、今年で創立25周年を迎える「みたかジュニアオーケストラ」の高校生9人のアンサンブルです。
中田さんの音楽が若い世代に継承されていることが象徴されています。
このように内容の濃いコンサートが終わると声をかけてくれたのは都立富士高校の後輩で同窓会役員の2人でした。
そのうちの1人は稲村なおこさんの大学院の指導教授でした。
この4人に、私が市長在任中から来月も開催の「親子音楽会」ではタイラー博士として活躍していただいている、たいらいさおさんも加わって、和やかに語り合いました。
中田喜直さんが生み出した多くの童謡は、今なお、私たちの心に生き続けています。