ケアネットしんなかの5月のサロンでは、金色夜叉の紙芝居を見ました
地域ケアネットワーク新川・中原(ケアネットしんなか)の例月のサロンでは、まさに地域のネットワークを生かして、月ごとにユニークなプログラムを提供しています。
先月、5月のサロンでは、朗読サークル「和っしょい」の海老沢さんと白井さんによる紙芝居の口演がありました。
演目は、明治時代の代表的小説と言われる尾崎紅葉による『金色夜叉』です。
当日の参加者は70代以上のシニアの方が多かったので、演目を聴いて「懐かしいわ」という声が上がりました。
けれども、サロン担当副代表の小田切さんや、市役所地域福祉課のケアネットしんなか担当の中島さんは、まったく見当がつかない演目だったようです。
畑谷代表、大戸副代表と私は、偶然にもまったくの同い年で、「金色夜叉」のお話について、一定の記憶があり、珍しく、ケアネットに関わる参加者の中の【世代差】を痛感して、思わず顔を見合わせました。
『金色夜叉』については、「熱海の海岸散歩する 貫一・お宮の・・・・・」で始まる歌謡曲もありましたし、地方巡業をする、いわゆる旅回りの劇団の演目の中に、「金色夜叉」は「国定忠治」などと同様に、よく演じられてもいたようです。
また、1960年代にテレビが普及する過程で、何度もドラマ化がされていました。
私は、小説を読んだことはありませんし、演劇で見た記憶はありませんが、テレビを見た経験はあったようで、次の場面について特に、記憶していました。
学生の間貫一(はざま かんいち)のいいなづけであるお宮は、結婚を間近にして、富豪の富山唯継のところへ嫁ぐことになり、それに激怒した貫一が、熱海で宮を問い詰めるとき、貫一は宮を蹴り飛ばすときに言うセリフ「来年の1月17日の、今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」という場面です。
その後、貫一は復讐のために、高利貸しになり、お宮も決して幸せに暮らせずにいたというお話までが、私の記憶でした。
初めてこのお話を知った時は、宮さんと蹴り飛ばす貫一をひどい人と思っていました。
この日は、『続・金色夜叉』の口演もありました。
それは、後に、宮が富山とは幸せになれずに、貫一のところに出向いて想いを伝えていくという、少々身勝手なふるまいが描かれています。
そこで、この日の紙芝居で、貫一の愛情を受け止めきれずに、お金持ちの富山のところに嫁いだお宮は、むしろお金に魅かれて愛情を捨てた冷たい女性かもしれないとも感じました。
そして、宮が貫一を捨ててお金持ちと結婚したには理由があったに違いないけれど、それが、十分に描かれていないことへのいら立ちを感じつつ、貫一もただ若い宮の美貌に惹かれていただけで、あとは、別の人に嫁いでしまった宮への憎しみから生きていただけかもしれないとの疑惑も生まれました。
いずれにしても、『金色夜叉』は「愛」と「お金」の対比をテーマとする小説とは思いますが、このなんとも煮え切らない私の感想も『金色夜叉』が未完の小説であることから、小説を読んだとしても、私の気持ちはきっとすっきりすることはないのだとも思います。
この日、海老沢さん、白井さんは、貫一と宮の声を上手に演じ分けて、まさに、「お芝居」のように語ってくださいました。
会場は、シーンとして、参加者がそれぞれにお話に没頭して傾聴されていました。
サロンでの紙芝居を通じて、私だけでなく、参加者の皆様も、それぞれに、青年期に立ち返って「愛」と「お金」について、考える時間となったように思います。