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第40回太宰治賞贈呈式で受賞者の市街地ギャオさん、選考委員の作家津村記久子さんらと対話しました

第40回太宰治賞贈呈式で受賞者の市街地ギャオさん、選考委員の作家津村記久子さんらと対話しました

6月14日、三鷹市・筑摩書房主催「第40回太宰治賞贈呈式」に、前市長として招かれ、出席しました。
今年は、1405篇の応募作の中から、市街地ギャオさんの『メメントラブドール』が受賞しました。
選考委員は、現代詩作家荒川洋治さん、作家の奥泉光さん、作家の中島京子さん、作家でご自身が太宰治賞受賞者の津村記久子さんです。

私が三鷹市長在任中から選考委員をお願いしている荒川洋治さんは、とてもユーモア溢れる方で、再会して相互の元気を確認して記念写真を撮りました♪
その荒川さんが今回の太宰治賞を特集したムック本での受賞作の選評で、次のように要約されていたので、ご紹介します。
「ネット社会に流通することばを縦横に駆使し、周囲との交通を遮断する日常を記す。自分たちをひたすら自分の鏡に映していく、という世界だ。そこに現れる人たちは、つつしみはないものの、唖然とさせる美しさも、悲壮感もあるようだ。でもそれは文章のあやであり、作品の思想の現れではない。でも、こうした主に閉鎖的な言語をもとに作られる小説は、このあとの文学を先導することになるかもしれない。この作品を鑑賞する気力はないけれど、こちらも前を向いて進んでいかなくてはならないのだという思いを残すことになった。」と。

金髪がよく似合うギャオさんは、受賞挨拶で、要約すると次のように語りました。
「あるアーティストは全ての動詞には【生きる】という意味があると言っています。書かなくてはならないということは生きていることに他ならない。また、【言葉は借り物で、借りたら返さなくてはいけない】とも言っています。ギャオの言葉は全ての人に届きにくいかもしれませんが、自分が社会からもらったことばを、小説という形で戻していきたい。」と。

授賞式を終えて懇親会に入り、私がギャオさんにお祝いのご挨拶に伺うと「前市長さんですよね。」とにこやかに挨拶してくれました。
ひ初対面の私のことをしっかりと認識していただいていて、大変に礼儀のある方だと思います。
記念写真では、私の方に小首を傾げていただいて、一気に親しみを覚えました。
「ギャオさんは、私たちに言葉だけでなく、物語を届けてくださっていると思いますので、これからもギャオさんの紡ぐ物語を楽しみにしています。」と話しますと、「はい、しっかり書いていきます。」と瞳をしっかりと見つめてくれました。心強いです。

会場には、太宰治が眠るお墓のある禅林寺の木村得玄住職が、「実は今日は忙しかったけど、顔を出しましたよ」と来てくださっていました。
太宰治ゆかりの方のご来場はありがたいことです。

そして、選考委員の津村記久子さんとも久しぶりにお目にかかり談笑しました。
津村さんは、2005年に 『君は永遠にそいつらより若い』で太宰治賞を受賞された後、2009年に 『ポトスライムの舟』で第140回芥川賞を受賞され、その授賞式に私も関係者としてお招きいただきました。
津村さんは、太宰治賞を受賞された時の選考委員であった作家の小川洋子さんが、津村さんの作品が芥川賞に選ばれた時は芥川賞の選考委員もされていて、授賞式では選考委員を代表して講評を担当されました。
本当にご縁が深いお二人です。
小川洋子さんは、連続4回も芥川賞候補作となられ、4作目の『妊娠カレンダー』で1991年に第104回芥川賞を受賞されました。
そして、2007年ら第137回から、通算17年芥川賞選考委員をお務めで、2021年紫綬褒章を受賞され、2023年から芸術院会員です。
私は、太宰治賞の主催者としてめぐり逢った小川洋子さん、津村記久子さんという、お二人の作家の方々と親しく交流させていただいていましたので、その時の芥川賞授賞式のお二人のご縁の場に居させていただいた時のこの上ない幸いを鮮明に覚えています。

そして、40回目を迎えた太宰治賞を、多くの応募作品の中から受賞された市街地ギャオさん、そのユニークなペンネームの新人作家が、ともすると文字・活字文化と対立するものかのように位置付けられるデジタル社会、SNS社会が浸透する現代社会にあって、小説の新しい地平を切り拓いていくことを、心から応援したいと思います。

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