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夏休みだからこそできる、お世話になった方との再会

夏休みだからこそできる、お世話になった方との再会

立秋が過ぎて、いわゆる旧盆の時期となり、多くの方が夏季休暇を取っている時期となりました。
この時期、私は猛暑で少し体調を崩している14歳の愛犬の世話を主として担当しているため、もっぱら自宅で過ごしています。

そうした中、三鷹市社会福祉協議会の前会長で、三鷹交通安全協会の元会長の吉野壽夫さんと本当にお久しぶりにおめにかかり、ランチをご一緒することになりました。
吉野さんは12月のお誕生日に卒寿(90歳)をお迎えになるということで、真夏の「卒寿の前祝」のランチともなりました。
ランチの場所は三鷹市野崎の【木曽路】です。
メニューは【お盆の特別ランチ】で、和牛・天ぷら・おさしみなどに加えて、少し早めの【マツタケごはん】に、デザートは冷やしぜんざいと、品数がかなり多い割に、決して高額ではなく、リーズナブルなランチとなりました。
まもなく90歳を迎える吉野さんも、完食で、まさに、ご長寿の秘訣はしっかりと食事を摂ることであると確認しました。

さて、私が三鷹市長に就任した2003年、吉野さんは、三鷹市民生・児童委員協議会の会長でした。
そこで、健康福祉審議会などの委員も務めてくださっていました。お仕事は、当時、測量事務所を経営されていました。
三鷹市の場合は、民生委員・児童委員に加えて、三鷹市長が委嘱して地域福祉活動をしていただいています。
民生委員・児童委員は、市や関係機関と連携・協力しながら、地域の中で高齢者、障がい者、子どもや子育て家庭のサポートを行っているとともに、安全・安心な地域づくりのための活動を行い、地域ケアネットワークや社会福祉協議会の「ほのぼのねっと」など、住民同士の交流の場づくりに参加しています。
吉野さんが三鷹市の民生・児童委員協議会の会長を務めていらした時には、その自主研修や多様な地域福祉活動での活躍が評価されて、協議会が厚生労働大臣から表彰されました。
そして、三鷹市社会福祉協議会の副会長・理事をされていた吉野さんは、会長に選任されました。
私が市長に就任するまでは、社会福祉協議会の会長は三鷹市の元職員で収入役や教育長の経験者であった方が務められるケースが続いていました。
そこで、市の幹部経験者ではない一般市民から会長が選任されたことを、私自身は大変に心強く思いました。

2010年には、吉野さんのお宅が、都道の人見街道の拡幅のために一部を花壇等として寄付された場所に、吉野さんが当時所属されていた三鷹ライオンズクラブが時計塔を寄贈されることになり、私に【時を大切に】という文字の揮毫を依頼されました。
この日、久しぶりにその文字を吉野さんとともに確認して、まさに、【時を大切に】していきたいとの想いを新たにしました。

また、その翌年の2011年3月11日の東日本大震災が発生しました。
私は吉野会長とすぐに相談して、特に、三鷹青年会議所、東京むさし農業協同組合青壮年部、三鷹商工会青年部の若い市民の皆様を中心に、多くの団体と、市民の皆様からの被災地支援の義援金・支援物資の収集・送付などについて強力に連携しました。

さらに、吉野さんは、三鷹警察署と協働している三鷹交通安全協会の会長にも就任されました。
そして、三鷹市内で長期に渡って【死亡事故ゼロ】が継続したことから、三鷹市と三鷹交通安全協会が、交通安全対策の功労が顕著であった自治体、交通安全協会として、東京都知事を会長とする【首都交通対策協議会】から会長賞(知事感謝状)を受賞したことがあります。
その際には、吉野会長とご一緒に東京都庁に出向いたのです。
首都交通対策協議会は、効果的な交通対策を推進することを目的に、1962年に都知事を会長として、設置された機関です。

吉野さんとは、ご一緒に取り組んだ経験に加えて、特に、三鷹市ゆかりの中田喜直さん、三木露風さんをはじめとする芸術家の皆様を顕彰する事業などについても語り合いました。
吉野さんご自身は津軽三味線を弾かれたり、民謡も趣味とされています。
こうして、年末には卒寿を迎えられる吉野さんとの穏やかな語り合いを通して、私は、三鷹市長として、吉野さんをはじめとして、多くの市民の皆様お一人おひとりの珠玉のような地域活動によって、市政の発展を協働して進めることができたことに、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

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