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終戦後79年目の【世代をこえて平和を考える日】を迎えて

終戦後79年目の【世代をこえて平和を考える日】を迎えて

終戦後79年目の8月15日を迎えました。
戦争犠牲者の皆様に謹んで哀悼の意を捧げ、世界の平和のお祈りします。

私は今年も、「三鷹平和のつどい 世代をこえて平和を考える日 戦没者追悼式並びに平和祈念式典」に参加しました。
献花台の隣には、副代表を務めている【地域ケアネットワーク新川中原】のサロンの参加者の皆様やスタッフによる【千羽鶴】が、多くの寄贈者や団体による【千羽鶴】とともに、鎮魂と平和希求の願いを、1羽1羽に思いを込めた鶴の存在感で表しています。

式典では、『いま語り伝えたいこと』として、市民のお2人が体験を話しました。
まず、88歳の原茂子さんが新宿区から、最初は栃木県、次に八王子の染物工場に疎開していた時の、多くの焼夷弾の恐怖を語ります。
そして、その工場が傷ついた人々の避難場所となり、こどもながらに看護をした経験などを話されました。
そして、夫さんが風船爆弾づくりの研究をしていた経験から、他の臓器に異常がない中、肺がひどく傷ついたとの事実から、戦場に行かなくても治りにくい戦争の傷を受けた人がいるのだと訴えました。
次に、高嶺俊夫さんが終戦の前年から終戦後迄1年半ほど経験した、小学生時代の市谷から栃木県の寺での学童疎開の体験を、月日を追って、日記を読み直すような迫力で語られました。
来る日も来る日も麦飯と漬物ばかりの三食で、動物性たんぱく質がまったく食べられなかったこと、勉強机が食事の机でもあったことなど、今では想像できない体験を話しました。
そうした中で、現地の級友が卵などを分けてくれた親切への感謝、広島・長崎の被爆の事は終戦後東京に戻るまではまったく知らなかったという実情など、当時を思い出しながら、印象的な出来事を、テンポよく話してくれました。
お二人とも、自分たちが経験したことを、次の世代には絶対に経験してもらいたくないとの想いで語ってくださったように受け止めました。

式典の後半に、私たちに届いた若い歌声は、最近は毎年参加している【三鷹中央学園三鷹市立第三小学校合唱団(指揮:小林荘子先生)】による、「ゆきどけ」「樹形図」と、今年初めて参加された【ICC三鷹ジュニア合唱団(指揮:佐藤美和子先生)】による「アメイジング・グレイス」「いのちの歌」です。
今日の【世代をこえて平和を考える日】は、学童疎開を経験された戦争時小学生であったのお二人による貴重な体験談を聴いた、小学生・中学生・高校生・大学生の歌声が【恒久平和】の願いを高らかに発する日となりました。
正午には、全員で【黙祷】を捧げ、若い合唱団と会場が一体となって【花は咲く(岩井俊二作詞・菅野よう子作曲)】を合唱しました。

閉会後、壇上に合唱団が残る中、参加された【三鷹市遺族会】の前会長の中山和政さん、現会長の山本正和さんと、「今年も無事に平和のつどいを開催できてよかったですね」と語り合いました。
お2人は、少々体調不良とおっしゃっていましたが、遺族会の各地区代表の皆様とご一緒にお揃いで参加してくださり、「【世代をこえて平和を考える日】は大事ですから」とその意義を何よりも尊重してくださっていることをありがたく思います。
ただ、これまで被爆体験を語り続けていただくとともに、毎年、献花台の前で役員の皆様と記念写真を撮ることが恒例となっていた【三鷹市原爆被害者の会(三友会)】は、会員の皆様の逝去が続き、現在は休会中ということで、皆様とお目にかかれなかったことがとても残念です。

今も、世界では、戦争が存在します。
そのことに目をそらすわけにはいきません。
日本では戦後79年ということになるのですが、今、世界で存在する戦争と無関係で生きることはできないと考えます。
『いま語り伝えたいこと』で、今日、分かち合ったのは、戦争は戦場だけで行われていることではないことです。
【こども】の時の、こどもの視点からの学童疎開の体験談を共有することで、戦争がもたらす不幸が多様であることを実感しました。
世界の戦争が1日も早く集結することを願わずにはいられません。

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